50歳でTBSを退社&独立。今、堀井美香が自由な働き方を選んだ理由
TBSアナウンサーきってのナレーション・朗読のスペシャリストとして活躍し、この春、独立して未知なる大海原へと漕ぎ出した堀井美香さん。最近では、ジェーン・スーさんとのおかしな掛け合いが人気のPodcast番組「OVER THE SUN」(TBSラジオ)でも注目を集めています。そんな堀井さんに、アナウンサーを志したきっかけから、自分ならではの能力を発揮する経緯、独立を決めた転機までお伺いし、仕事や人生に悩む方々へのエールも送っていただきました!
局アナとしての仕事をやり切って、50歳でいざ大海原へ!
——そもそも堀井さんって、どうしてアナウンサーになったんですか?
堀井美香さん(以下、堀井さん):私は秋田の出身なんですが、地元だと公務員になるのが一番のエリートコースで、自分も漠然とその道に進むべきだろうと思っていたんです。だけど、大学に進路の資料を出しに行ったとき、その担当の方が「キミはアナウンサーコースを受けた方がいいよ」とおすすめしてくださって。自分がアナウンサーを目指すなんて考えてもなかったんですが、講義内容に面接の練習があったので、公務員や一般企業の面接にも役立つだろうと思って。あの担当の方がいなかったら、アナウンサーになっていなかったでしょうね。
——運命の出会いだったんですね。堀井さんがTBSに入社されたのは1995年、女子アナブームの渦中ですよね。女子アナとして人気を集めるなか、堀井さんは入社翌年にご結婚されます。かなり早いですよね。
堀井さん:地方出身ということもあってか、「女性は早いうちに結婚するのが当然」といった概念が当時の自分にもあったんです。私が大学生の時点で結婚して子どもがいる同級生も何人もいましたし。だから、自分の中ではまだ早いなんて思ってなかったですね。実際に結婚して出産してから、「世の中の常識ってこうじゃなかったんだ」「東京だと結婚や出産がまだ早いって思われるんだ」なんてことが見えてきたりして。
——周りから早婚と言われても、とくに気にならなかったですか?
堀井さん:ちょっと苦しかったですが、そんなに気にしてなかったかも。夫も忙しかったし、両親など頼れる人も近くにはいませんでしたが、子どもたちを一生懸命育てたいと思っていたので、中学に上がるぐらいまでは仕事をセーブしていました。だから、当時は自分の見え方や出世なんかも、あまり考えてなかったですね。
——子育て中の10数年はご家庭を優先されていたんでしょうか。
堀井さん:そうですね。再び仕事にシフトしたのは、30代後半あたりから。夜中でも土日の仕事でも引き受けるようになって。子育てを経てTBSを退社し、今はフリーでお仕事もできているので、「結果的に良かったね」と言われることも多いんですけど、本当にたまたまこうなっただけなんですよね。振り返ってみても、自分も幼かったし世間もよく知らないまま子育てに没頭していたし、仕事の両立もうまくできたとも思えません。私の場合、たまたま育児のタイミングが早めに訪れただけ。いろいろな選択肢がありますし、人それぞれ、人生の時間割があるんだなと思います。
——では、このタイミングで独立されたのはなぜですか?
堀井さん:私自身、TBSという会社がすごく好きだったんです。ずっと居たいくらいの良い環境だったんですけど、50歳という人生の節目を迎えるにあたり、ちょうどいい区切りなんじゃないかって。子どもたちも社会人になって手が離れたことで、私自身が自由の身になったというのも大きいですね。
——会社員人生はやり切った、みたいな感覚もあったのでしょうか。
堀井さん:それはありますね。TBSではとくにナレーションの仕事をたくさんやっていて、制作陣たちからナレーターに指名してもらえるのはありがたかったんですけど、仕事としての広がりが少なくなってきているなと、ここ数年感じていたんです。もちろん、ナレーションは大好きな仕事の一つですが、会社員から離れてもう少し新しいこともやってみたい。そんな思いが芽生えたのが、ちょうど50歳というタイミングだったんです。
新しい働き方に触れ、コーヒー屋の開業も計画!?
——新しいことに挑戦したいと思わせるような出来事が、TBS時代にあったんでしょうか?
堀井さん:独立を決断するきっかけの一つは、TBSで採用や育成のチーフをやらせてもらったことも大きいかもしれません。アナウンス業以外の仕事をしてみて驚いたのが、男子アナウンサーの志望者がものすごく減ったこと。それこそ、自分の時代と比べて10分の1ぐらいに減ったような気がします。そこで私たちから学生さんのスカウトに行くことになって、結構な数の学生さんと会ったんですが、みんな一生同じ仕事をするということに全然関心がないんですよ。これには、かなり衝撃を受けましたね。
——え! テレビ局の局員になったら、一生安泰そうなのにですか?
堀井さん:ええ。それどころか、アナウンサーでマイク一本で生きていくなんて信じられないとも言われて。最初から上場企業に入りたいという思いもなく、むしろキャリアを身につけて中途採用でという学生さんが多かったんです。実際、企業側としても新人を発掘するよりも、ある程度専門職をつけた中途採用のほうがいいんじゃないかという方向にシフトしていたし、学生さんもそれに気付いていたんでしょうね。そういう新しい働き方を肌で感じて、TBSに一生いてもいいけど一生いなくたっていいんだって、私自身が感化されたんです。
——それこそ、アナウンサー以外のお仕事を選んでもいいと思ったんですか?
堀井さん:私はその時点で自分のスキルや強みは“読むこと”というのはわかっていたんですけど、全然違う職種もいいかなと思って、コーヒー屋さんをやってみようとスクールに通い始めたりもして。
——コーヒー屋さんですか! どうしてですか?
堀井さん:コーヒーが大好きなんです(にっこり)。それでスクールで焙煎の仕方やお店の経営の仕方を学だり、実地でお店に立ってみたこともあります。実はそれなりに本気だったんですよ。お店の土地を探しに行ったこともありますし。
——コーヒー屋さんの開店が実現しなかったのはなぜですか?
堀井さん:授業でテイスティングのテストみたいなことをするんですけど、私が選ぶコーヒーが全く当たらないんですよ。要は、コーヒーが大好きなのに、その風味の違いが全然わかっていなかったんです(苦笑)。憧れるのと得意なものとは違うってこともありますよね。
——なるほど(笑)。でも、堀井さんってやりたいことは何がなんでもやるけど、ちゃんと自己分析もされていますよね。
堀井さん:どちらかというと、周りで見てくれている人たちから「これをやってみたら?」とか「これって向いているんじゃない?」と提案されると、素直に頑張ってやってみようと思うんですよね。実際、先輩たちのアドバイスが私の人生をいい方向に導いてくれたとも感じていますし。
——アドバイスをくれた先輩たちの中で、とくに印象に残っている方っていらっしゃいますか?
堀井さん:私の朗読を真っ先に褒めてくれ、朗読会のイベントにもお声がけしてくれた、女性のプロデューサーの先輩ですね。私一人の出演だと心もとなかったので、そのイベントには知人のピアノの先生や楽団もお連れてして参加したんです。そしたら先輩はその時の音楽に非常に感動してくれて、音大に通うために会社をスパッと辞めちゃったんです。
——堀井さんのほうが他人の人生を導いているじゃないですか。
堀井さん:いえいえ。その先輩の決断がいつも心のどこかに希望としてあったから、今回の独立を後押ししてくれたんだと思います。ただ、その先輩はスパッとプロデューサーを辞めて音大に進学しましたが、私の場合は今までやってきた仕事を命綱のように持った上で外に出ているので、ちょっとずるいかもしれません。でも、会社に不満を抱えていたから退社したのではなく、局アナとしての仕事をやり切ったから次のステージに進みたかったというのは間違いないです。
誰にも気づかれなくても、努力を積み重ねて少しずつ進んでいけばいい
——報道番組やバラエティ番組の進行など、アナウンサーにはいろいろな仕事があると思いますが、堀井さんがナレーションを多く担当されるようになったのはなぜですか?
堀井さん:簡単にいうと、現場で褒められて自分はナレーションが得意なのかもと自信が持てたことと、ナレーターに引っ張り上げてくれた人たちがいたということですね。あと、家庭の事情もあります。
——家庭の事情というと、20代での結婚・出産されたことが関係しているでしょうか?
堀井さん:そうです。二人目の子どもを育てていた頃、月曜から金曜の夕方のニュース番組のサブMCを、という話もあったんです。とてもありがたい話でしたが、「OVER THE SUN」の互助会のみなさん※ご存知の通り、私は都心部から離れた町田に住んでいるので、19時とか20時にその仕事が終わると、家に帰るのは21時過ぎるわけですよ。毎日子どもと夕飯を食べる生活ができないのは考えられなかったですし、当時は子どもと過ごしたいから週末の仕事も断ったりしていたので、一度はアナウンサーから離れて、10時〜19時で働ける別の部署への異動希望も出したりして。
※「OVER THE SUN」では、幅広い世代のリスナーいることから、互助会と呼ぶ独自のコミュニティが生まれている
——んんん? アナウンス部以外の部署に異動しようとしたんですか?
堀井さん:はい。それで人事に勧められたのが秘書部でした。秘書として働くためにレクチャーを受けていたんですが、当時のセンター長がちょっと待てと。「朗読やナレーションなら、子育てしながらアナウンサーを続けられるんじゃないか」と引き留めてくれて。それでBSの特番でナレーションを担当することになったんです。これまでと違うかなり硬めの内容で、プロデューサーにめちゃくちゃ怒られながら収録したんですが、もっと仕事の幅を広げなきゃいけないなと思って、まずは半年頑張ってみようと決意して。結局、20年も続いています。
——ナレーションという仕事に手応えを感じられたのはどの辺りからですか?
堀井さん:いまだに100点満点のナレーションをできたという感覚になったことはないですが、これまでの積み重ねが活かされたと感じるときですね。例えば、ほんの1秒の提供読みなど短いナレーション仕事の依頼が来た場合、収録にかかる時間は短いですが、自分なりにいろんなパターンを練習していく。この練習の成果は誰にも気づかれないかもしれないけど、何度も練習することで自信につながるし、自分のパターンも多く引き出せます。こうして少しずつ積み重ねていったことが、大きな仕事にもつながっていったような気がします。
——堀井さんのナレーションは、努力の積み重ねによるものなんですね。ただ、同じ仕事をずっと続けていると、努力しても乗り越えられない壁にぶつかることも多々あります。
堀井さん:そうですよね。同じような境遇で心折れそうな後輩がいたりすると、「お願いだから腐らないで」と伝えています。努力が必ず実るとは言えないけど、努力を積み重ねることで自分の成長に必ずつながっていますから。その努力や悩んだ時間は、決して無駄にはならないと思います。
——努力した結果はすぐに求めてはいけないんですね。
堀井さん:本音では、幸運がどんどん舞い降りたほうが嬉しいですけどね(笑)。私も結果が伴わないうちはこれでいいのかと悩みましたし、時間もかかって不安でしたけど、努力してるから大丈夫って自分に言い聞かせて一歩ずつ前に進んでいっていました。
どうか腐らずに、好きなことを続けてほしい
——TBSを退社してフリーになられて数カ月経ちましたが、今のお気持ちはどうですか?
堀井さん:ふふふ。会社には申し訳ないかもしれませんけど、今すごく楽しいですね。会社にいたら会えなかった人たちに出会えますし、世の中には本当にいろんな仕事があるんだということもわかりました。今回独立するにあたり、自分でホームページも作ったんですが、何が何だかもう全然わからないんですよ(苦笑)。
——堀井さんの公式ホームページは、ボイスサンプルが掲載されていたりしてかなりエモいですよね。しかし、公開当初はネット検索しても、なかなか出てこなくて(笑)。
堀井さん:そうそう(笑)。みんなに堀井のホームページは闇に葬られていると言われました。今はホームページ制作の会社さんが修正してくださって直っているんですが、最初のころはSEO対策もどうしたらいいのかわからなかったので、ネット検索では全く出てこないWEBサイトでした。あと、SNSの運用もしているんですが、これもさっぱりわかっていないんですよ。
——堀井さんのTwitterアカウント名は、いまだに「TBS」って入っていますね。
堀井さん:独立したからさすがに「TBS」は入れない方がいいかなと思って1度外したんですけど、そしたらホームページと同じで見つからなくなっちゃって。慌ててもうちょっとの間「TBS」って入れさせてくださいと会社にお願いしました。
——WEBの運用はともかく、お仕事は順調のようですよね。6月に開催した自主企画の朗読会のチケットは即完売されて。
堀井さん:会場も自分で押さえてチケット代も自分で決めたんですけど、会場費に演奏者のギャランティ、プレイガイドへの委託代金、イベント保険料などもあり、今のところ全くの赤字です……。チケット代をもっと高くした方がいいとも助言してくださるのですが、私としては今が精一杯の高値なのでこれ以上高くはできないんですよ。
——赤字でも開催したいほど、堀井さんにとって朗読会は大事な存在なんですね。
堀井さん:はい。TBS時代から朗読会は企画しているんですけど、その頃は自分が朗読するのではなく、後輩アナウンサーに朗読してもらうイベントだったんです。ニュースって1回読んだらその情報はすぐに流れて、また次のニュースを読むといったものなので、1回1回テキストと向き合うことが少ないんです。一方、朗読は作品なのでじっくりと向き合うもの。演出家さんたちに指導してもらうと、読み手のテクニックがどんどん上達していくんです。後輩のそうした姿を見て、自分も成長したいなと。
——ご自身の好きなお仕事でもある朗読を通じて、人も自分も成長させていくんですね。では、堀井さんにとって仕事とは、どんな存在ですか?
堀井さん:会社や同僚、後輩たちを喜ばせたり、自分の強みを使って社会に還元していくものですかね。
朗読会は私が勝手に開いているジャイアンリサイタルみたいなものなので、社会貢献ではありませんが、この先は、10人ぐらいの少人数で朗読するようなイベントをしていきたいと思ってます。普段、人と話すのが不得意な方や、みんなの前で話すのが苦手なお子さんたちに向けて、朗読を通じて読むことの楽しさを伝えていけたら。
——なるほど。朗読って、コミュニケーションの手段にもなるんでしょうか?
堀井さん:そうですね。実際に、主婦の方々を中心とした朗読会サークルを開いていたことがあるんですが、配役を決める段階からものすごく盛り上がるんですよ。朝からパーマをあてて本番に臨んだり、会場に旦那さんやお孫さんを連れてきたり。普段表に出ない方たちに光が当たる場所にもなるし、なにより日常が楽しくなるんですよね。だから朗読会の自主開催は、黒字にならなくたって続けていきたいですね。
——堀井さんはお金のためというより、やりたいことをやることがご自身のモチベーションにもつながっているんですね。
堀井さん:確かにお金を稼ぐことは大事ですし、お金がないと心が荒みます。だけど、稼ぎ方って柔軟でいいと思うんですよ。やりたいことが仕事になるまで時間がかかりますが、その可能性が少しでもあるなら、自分の好きなことを続けたほうがいいですよね。何かしら続けていけば必ず自分の力になりますし、予想していなかった仕事につながることもありますから。よくも悪くも人生は何が起こるかわかりません。だから、もし仕事に悩んで立ち止まることがあっても、どうか希望を見失わず、腐らずにいてほしいです。
堀井美香(ほりい みか)
撮影/武石早代
取材・文/おかねチップス編集部
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50歳でTBSを退社&独立。今、堀井美香が自由な働き方を選んだ理由
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