元AKB48メンバーで、“初代じゃんけん女王”として知られる内田眞由美さん。AKB48在籍中、20歳で5,000万円借金をして自身の店「焼肉IWA」をオープン。開店7周年を迎えたいま、経営者として手腕を発揮しています。お店に伺ってこれまでの苦労について聞くと、「お店の経営よりもアイドル活動のほうが大変でした」と内田さん。メンタルを鍛えられたアイドル時代から、わずか半年で閉店した姉妹店の裏事情まで、たっぷり語ってくれました。
14歳でAKB48に加入し、20歳で焼肉店オーナーに
広いお店ですね。内田さんが1人で経営されているんですか?
元々はゲームセンターだった物件なんです。お店のオーナーは私で、母に手伝ってもらいながら経営しています。
10人です。AKB48・元メンバーの飯野雅ちゃんと岡田彩花ちゃんもたまにお店に立ってくれています。
以前、島崎遥香さんも店頭に立たれたことがあるとか!?
そうなんです。ぱるるは3回くらい来てくれました。メガネをかけていて最初は気づかれなかったんですけど、しゃべったらすぐにバレてしまって(笑)。騒ぎになってしまい、危ないからと3日目で中止になっちゃいました。
「焼肉IWA」は、どんな特長がある焼肉屋さんなんですか?
基本的には家族連れの方も来られる普通の焼肉屋ですが、現役のアイドルやアイドルを目指している子が働いていたりもするので、ちょっと特殊な焼肉屋かもしれません。祖父と両親が八王子で精肉店と焼肉屋をやっているので、お肉の質にはすごく自信があります。メニュー全部おいしいですよ! また、全席無煙ロースターなので洋服などに臭いがつきにくく、ダクトがない分、対面でお話しやすいのも特長ですね。
たしかに、どのメニューもおいしそうですね! 現在は、お店の経営とタレント活動を両立しているんですか?
実は今年の6月に事務所を退所して、最近タレント活動はあまりしていないんです。タレント活動も楽しいですが、いまは会社経営の方に力を入れたくて。
今後は「IWA」の経営をしながら、アイドルのプロデュース業もやろうと思っていて。
多角化経営ですね。内田さんは裏方に徹したいんですか?
そうですね。14歳でAKB48に加入して以来、ステージに立って歌うのが楽しかったんですけど、お店を始めてみたら、アイドルをバックアップしてステージを作り上げる裏方のほうが楽しいかもって。お客さんとお店の子が楽しそうにしているのを「うんうん」って見ることにやりがいを感じるんですよね。
「IWA」はAKB48在籍中、20歳でオープンされていますが、なぜ焼肉屋をやろうと思ったんですか?
家族の影響で私もいつか自分でお店をやってみたい、経営者になりたいと思っていたんです。AKB48を続けながら「もうアイドルとしては難しいかな」と感じていたときに、焼肉屋なら家族に協力してもらえる!と思って決めました。アイドルになったのが早かったので、アルバイト経験はもちろんゼロだったんですが……。
「いつかお店をやりたいんですよね」って社長に相談したら、「やっちゃいなよ」って言われて(笑)、次の日から物件を探しました。私はAKB48卒業後に経営の学校に通って勉強してゆくゆく、というイメージだったんですけど。
急展開だったんですね! 開業資金はどうしたんですか?
AKB48で働いて貯めたお金があったのと両親に工面してもらって。あと、銀行から5,000万円を借りました。
すごい! 融資を受けるのに事業計画書とか書いたんですか?
たしか母と一緒に書いたと思うんですけど、当時すごいバタバタで……。AKB48のコンサートの合間に物件探したりして、リハ中に「ちょっとすみません」って言って不動産屋さんの電話に出たり。周りのメンバーからしたら「大丈夫なの?」って感じだったと思いますけど、理解してくれていたのでありがたかったですね。
5,000万円借金し、準備半年で店をオープン
半年くらいです。2013年の9〜10月に物件探して、翌年2014年の4月19日にオープンしたので。お母さんには「21歳でお兄ちゃんを産んで育てたときが一番大変だったけど、お店の開店準備はそれを超えた」って言われました。
お母さんからしたら出産・育児よりも大変だったと。タレントさんのお店って経営には関わらず、名前貸しもできると思うんですけど、自ら経営しようと思ったのはなぜですか?
当時、名前貸しっていう仕組みを知らなくて。後から聞いて「そういうのもあったんだ!」って(笑)。
そうだったんですね。20歳という若さで、5,000万円の借金を背負うのは怖くなかったんですか?
最初にお店の家賃や内装費の見積もりを出されたとき、見たこともない数字だったので、「お店ってこんなにお金かかるんだ」ってびっくりしたのは覚えています。だけど、「必要ならしょうがない」「妥協もしたくない」という気持ちの方が大きかったですね。
借金を返すまでに何年かかるんだろうっていう不安は?
不安はなかったですね。「何年もかかる壮大なプロジェクトになりそうだな」とは思いましたけど。
そこで、やっぱりやめようとは思わなかったんですか?
思わなかったですね。最短でも10年はやろうと覚悟は決めていました。というのも、AKB48に7年半在籍していたので、お店もそれ以上は続けられるだろうと思って。
長く続ける覚悟と自信があったんですね。オープン当初、お客さんは途切れなかったとか?
そうですね。最初は店の外にまでズラーッと並んでいただいたんですけど、半年後にはかなり減ってしまって。混んでいて入れないっていうイメージがついてしまって、お客さんが来てくれなくなってしまいました。2〜3組しかお客さんがいない時期もありましたね。
当時は予約の電話を受け付けてなくて、並んだ順のご案内だったのですが、予約を取るようにしました。開業までに時間がなくて基本的な準備もできてなくて、オープンしてからいろいろ考えたという感じです。あとは、SNSで「いま空いてます」「こんなメニューがあります」とマメに発信するようにしました。
SNSを活用されたんですね。若いスタッフの方が多いと思うんですけど、従業員の教育で苦労したことは?
苦労は全然ないです。アイドルという職業だからか、みんなお客さんと話すのは上手だし、とにかく物覚えが早い! 歌とダンスのレッスンのおかげだと思うんですけど。お客さんの顔も名前もすぐ覚えられますし。
「焼肉IWA」新潟店が閉店。いままでメディアで話さなかった理由
20歳でお店をオープンしてから、経営をやめたいと思ったことはありますか?
ないですね。逆にお店を始めてからのほうがストレスはないんです。怒ることもないですし。自分で全部を決められるからかなぁ。あっ、私が誰かにムカつかれているかもしれないですけど(笑)。
オープンしてからコロナ禍になるまでの約6年、経営面でのご苦労は?
問題はありましたね。ファンの人が多いというイメージがついて、それ以外の人が来づらくなってしまったとき、アイドル色を消して味で勝負しようとしたら「ファンを切った」と思われて、ファンの方が離れてしまって……。そこで、「アイドル焼肉としてやろう!」と振り切りました。私もアイドルの世界で育ったわけだしって。
アイドル焼肉でいこうと振り切れたのは、いつ頃ですか?
オープンして5年後あたりですね。テレビ番組などに出てアイドル焼肉を打ち出したら、いじってもらえてお客さんがすごく増えたんです。それで、「お店の方向性はこっちでいいんだ!」と自信が持てるようになって。その頃、もう自分が表に出るのは好きじゃなかったんですけど、お客さんが来てくれるならとメディアにも積極的に出ていました。
私、ここ1店だけでやっていこうと決意したきっかけがあって。実は2016年に、新潟に系列店を出したことがあるんです。NGT48が結成した翌年なんですけど。人づてに紹介された新潟の経営者の方が「IWA」をいいと言ってくれて、話に乗ってフランチャイズ展開をすることにしたんです。だけど、途中からその経営者と部下の方が何だか信用できない感じになって……、突然いなくなっちゃったんですよ(苦笑)。
そうです。音信不通で経営できなくなって、新潟店は半年で閉めました。
はい。それで、自分の身の丈に合わないことはやめようって。いまあるものを大事にしようという考えになりましたね。
当時はもう誰も信用できないって、人を警戒するようになっちゃいました。
心配をかけたくなくて、家族と弁護士さん以外には言いませんでした。半年で閉店したのに私が何も言わないから、ファンの人たちは「何かあったんじゃないか」と勘づいていたと思いますけど。おおやけに言ったのは今日が初めてです。
「AKB48はメンタルの修行場でした」
えー、どっちだろう。私はアイドルのほうが大変だと思いますね。経営って努力したらそれなりに成果が数字で表れるけど、アイドルは頑張ったからといってすべてが報われる訳じゃない。それが私は辛かったので。
アイドルだった当時、キツかったことってありますか?
いっぱいあります(笑)! グループで後ろの列になったとき「何で頑張ってるのに前にいけないんだろう。歌もダンスもあの子より上手なのに」って、いつも人と自分を比べちゃってましたね。いまだったら、「後列でやれることは何だろう」ってポジティブに考えられるんですけど、当時は若かったので……。
そういった経験を重ねてメンタルが強くなったんですね!
私と同期の子は、みんな同じようにメンタルが強いです(笑)。人に何を言われても気にしないし。いまは、あの頃メンタルを鍛えられてよかったと思っています。AKB48はメンタルの修行場みたいだったので(笑)。「卒業後も元気で働けるのは、あそこにいたからだよね」って言い合うくらいすごい場所でした。
総選挙での順位や握手会の人数で比較されるって大変そうです。やめずに続けられたのはなぜですか?
何度も本当にやめたいと思ったけど、諦め切れなかった。ステージに立って注目を浴びて、いつかはソロデビューしたいという気持ちがあったので。やめたらその夢を全部諦めることになってしまうから。AKB48をやめて別のアイドル活動をする道も考えたんですけど、せっかくここでやり続けられるチャンスがあるなら続けようと。でも、いつも「私なんかがアイドルをやっていていいのかな」と自信がなかったです。それから、中学生で加入して毎日レッスンとかで友達とも遊べないし、こんなにプライベートを犠牲にしてまでアイドルを続ける意味はあるのかなって、悩んだりしていましたね……。
そんな悩みを抱える中、どうやってAKB48での居場所を確立したんですか?
最初の頃は歌やダンスをうまくなろうと、技術面を磨く努力をしたんですけど、なかなか人気がでなくて。それで、自分が変わらずとも、ありのままできることは何だろうと考えて行動したら、いつの間にかバラエティ担当になっていました(笑)。コント番組で岩の役をやったおかげもあって、いまのお店の名前を「IWA」にできたし。18歳の頃、自分にとっては自然体でいることが評価に繋がって、「変にムリしなくていいんだ」って気づけましたね。
「IWA」をオープンして、ここが自分の居場所に変わったからですね。AKB48のときは自分がメインになることは少なかったし、居場所がないと感じることのほうが多くて……。でも、「IWA」という居場所見つけたら毎日が楽しくて幸せで、たくさんの人に必要としてもらえた。もう私はAKB48にいなくてもいいかなと思えた……。とはいえ、自分が育ててもらった大切な場所だから、簡単にはやめられないとも思って、1年間はAKB48とお店を掛け持ちしていました。「この1年間は後悔がないようにやろう」と、卒業を決意しながらも活動を全うしました。
多くの人から注目を浴びるアイドルから、スポットライトが当たらない経営者になって、戸惑いはありましたか?
そりゃもう。すっごくありましたよ。最初はお店のお客さんとうまく距離感がつかめなくて。AKB48のときにお客さんと話す機会って握手会だけだったから、握手券ない人とお店でしゃべってて怒られないかなって(笑)。
コロナ禍で通販やクラウドファンディングを始め、お客さんとの絆を感じた
2020年4月の緊急事態宣言以降、お店の経営面で変えたことは?
Uber Eatsに加盟して焼肉弁当のテイクアウトを始めました。あとは給付金を申請して、どうにか持ち堪えて……。とくに昨年の夏頃は、お店の来客数がかなり減ってしまったので、「おうち焼肉セット」の通販を始めたらたくさん購入してくださって。SNSやテレビ番組に出て宣伝ができたということもあり、とてもありがたかったですね。
コロナ禍で売上はどのくらい減少してしまったのですか?
はい。今年6月に初めてやって、目標金額の20万円を超え、35万6,500円の支援をいただきました。
たくさんの支援が集まったんですね。コロナ禍が長く続いていますが、経営者としてどうメンタルを保っていますか?
通販やクラファンをやったことで、むしろ応援してくれる人がいっぱいいると勇気づけられました。売上が激減して落ち込むというより、「こんなに応援してくださるんだったら頑張んなきゃ」というモードになりました(笑)。お客さんとの絆を感じることができて、いまのところ気持ちの面では大丈夫です。金銭的な心配は尽きないですけど。
まだまだ残ってますね。返済目標は5年の予定だったんです。最初の1年こそ売り上げが良かったんですけど、そんなにうまくはいかず……。コロナ禍で返済期間を伸ばしてもらったんですけど、追加融資の返済もあって。いま、給付金などで何とか返済できている感じです。コロナ禍入ってからずっと自分の給料はゼロですけど、私はぜんぜん大丈夫です。
姉妹店の話も、コロナ禍でのご苦労もそうですが、内田さんって、めちゃくちゃ肝が据わってますよね。
そうですかね(笑)? でもやっぱり、アイドル時代の方が大変だったし、あれ以上にしんどいことはないって思えているからかもしれないです。自分の居場所がここだとわかったし、みんなが応援してくれている。だから焼肉の経営に関しては、「絶対に大丈夫。今回も乗り越えられる」という自信があるし、頑張れるんです。
経営者として覚醒したいま、今後のタレント活動についてはどうお考えですか?
うーん、自分が楽しくできるお仕事があれば続けたいですけどね。最近、バラエティ番組に出ると、「もっと暴露できますか?」と下品な方向でお願いされるので、正直、もうこういうのはキツいなと感じています。いまは等身大でいられる場所を見つけてしまったので、無理してまで出演しなくてもいいのかなと思ってます。 今後は自分が出演するより、アイドルのプロデュースをしていきたいので。
アイドルのプロデュースを始めようと思ったきっかけは?
そもそも私自身が昔からアイドルという存在が大好きというのもありますが、コロナ禍になって、直接会えることの大切さを実感したからですね。アイドルに限らず元気な人と会うと、元気をもらえるじゃないですか。オンラインより直接会うほうがやっぱりうれしいし。そういう元気を与えられる存在を自分がプロデュースしたいと思ったんです。
そうですね。いちファンとしてライブに行くだけだったと思います。
お店もアイドルも相手に元気を与える仕事だと思いますが、違いや共通点を感じることは?
「IWA」でお客さんに人気のある子がステージで輝くとは限らないし、反対に普通っぽい子がステージではめちゃくちゃ輝いたりする。どういう原理でそうなるのかは私もわからないですが、人っておもしろくて不思議だなと思います。どちらがいいということではなくて。
お店の経営って、アイドルのときのようにチヤホヤされない仕事だと思うんですが、そのあたりに不満は?
ないですね。いまこうやって、経営者としてインタビューしていただくことが、認めてもらえた気がしてがすごくうれしいですし、十分満たされています。お店という自分がつくったものを誰かに喜んでもらえることが幸せです。
最後に、経営者としての今後の目標を教えてください!
コロナ禍でもルールを守って経営し、お客さんが入っている飲食店もある。だから、売り上げの減少をコロナ禍のせいにはしたくないんです。通販やテイクアウトも含めてお店のレベルを上げて、売り上げを伸ばしたいと思っています!
内田眞由美(うちだ まゆみ)
1993年12月27日生まれ、東京都出身。2007年、AKB48に5期生として加入。2010年、「第1回じゃんけん大会」で優勝し話題に。2014年、AKB48在籍中に焼肉店「焼肉 IWA」をオープンし、オーナーに。2015年にAKB48を卒業。現在は、東京・新大久保の「焼肉 IWA」オーナーとして手腕を振るう。
焼肉 IWA HP:
http://yakiniku-iwa.com/Twitter:
@Mayumi_mmmInstagram:
@mayumi_mmm
撮影/SHUNYA KAWAI 取材・文/おかねチップス編集部