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「政治家秘書」から「年商10億の会社社長」に転身!StockSun株式会社・岩野圭佑の“異色キャリア”はどのように誕生したのか

「政治家秘書」から「年商10億の会社社長」に転身!StockSun株式会社・岩野圭佑の“異色キャリア”はどのように誕生したのか

「社員ゼロ」「フルリモート」といった新しい働き方に注目が集まる以前から、それを実践し、成果を出し続けてきた企業があります。

それが「StockSun株式会社」です。会社側が“認定”した精鋭のWeb人材が、チームとなってWebコンサルティングなどを実施。2017年に起業し、わずか3年目には売上高が10億円規模にまでなりました。

昨年7月に、YouTubeチャンネルの「年収チャンネル」や「令和の虎」でおなじみの株本祐己氏が代表取締役を退任。新たに就任したのが、今回インタビューする岩野圭佑さんです。「政治家秘書」という異色の経歴がある岩野さんのキャリアパスとは……?

“スキルほぼゼロ”の状態から会社の創業メンバーに

ーー岩野さん、元々は政治家秘書をされていたとか。いまの仕事からは全く想像できません(笑)。

岩野圭佑さん(以下、岩野さん)「大学は法学部で、もともとは弁護士を目指していたんですよ。そこからロースクールに行って……というコースを考えていたんですけど、大学3年生のとき、男4人で乗っている車で事故を起こしてから、人生観が変わったというか、どこか勉強していることに虚しさを感じるようになったんですよね。『なんでこんなことせなあかんのやろ』と。そんなとき、父親のつながりで、政治関連の仕事をしている人にお世話になりまして。そこから、奮い立つものがあり、『政治家を目指そう』という気持ちが芽生えたんです」

ーー激動の学生時代だったんですね。ですがその後、友人と一緒にWeb制作会社を立ち上げたということですが……?

岩野さん「中・高・大学で一緒だった知り合いが、ワークスアプリケーションという会社のエンジニア、そしてジャフコというベンチャーキャピタルの営業として働いていまして。彼らが『起業したい』ということで、僕にも声がかかった感じです。それまで、大学院で研究活動とか、政治家の手伝いしかしてない状態なので、ビジネスの知識は本当にゼロ。でも『岩野やったらキャッチアップしたらいける』って言われて、『じゃあやるか』みたいな。事業内容も彼らに任せて、最初は元手なし、在庫なしで始められるWeb制作事業が軸になっていきました」

「最もきつかった」という社会人のはじめ

ーーいずれキャッチアップできるとはいえ、最初は骨が折れたんじゃないですか?

岩野さん「そうですね。市場調査業務、資料作成業務など、仕事を選ばずにとにかくなんでも、人の倍は時間をかけてやってました。で、1年目の途中に、代表の知り合いのツテで、広告代理店の会社を紹介してもらって、頼み込んで期間限定でアルバイトをさせてもらいました。見識を広めたいのと、ビジネススキルを高めるためです。週3そこで働いて、残りの全ての時間を、自分たちの会社に使うみたいな生活でしたね」

ーー細かく言うと、どんな時間スケジュールなんですか?

岩野さん「アルバイトをしてる日は、朝から19時まで働いて、そこから渋谷のカフェで閉店まで作業。で、次の朝の9時から夜中2時ぐらいまで、自社で頑張るみたいな。ベンチャーの創業期としてはよくあるパターンですよ(笑)。とにかく1年目は自分が赤字人材にならないっていう風に考えて、ひたすら動いていました」

時を経て株本氏から突然の連絡

ーー2年目からはステージも変わってくるわけですね。

岩野さん「人もささやかながら増えて、本格的にWeb制作の事業がスタートしていきました。それまで、仲良くしてくれる人に業務委託で依頼しながらやっていましたが、タイミングよくデザイナーとエンジニアが正社員で入りまして。まあなんで、僕はとにかく『Web制作できます!』と営業で回っていましたね。それこそ、代表の知り合いの社長だったり、ちょっと怪しげな経営者交流会とかにも足を運んで売り込みして。一番最初、本当に自分の力だけで獲得した案件は、プルデンシャル生命保険の知り合いから紹介してもらった歯医者さんでした。そこから、クリニックのマーケティングに詳しくなって、その実績を伝家の宝刀のごとく振り回して同ジャンルが増えていくっていう(笑)」

ーー3年目はどうでしたか?プロフィールによると転機が訪れたとのことですが。

岩野さん「もう3年目になってくると、事業計画を引いて、それに紐づく形で行動計画みたいなのを作って、仕組みづくりやチームづくりを任せられていく感じでした。で、ちょうど3年目に、かつてアルバイトで出向していた会社で当時社員として働いていた株本から連絡があったんです。『独立した』と」

ーーあ、そうだったんですね。

岩野さん「僕は広告代理事業で、株本は自社メディアの営業だったので、仕事の直接の絡みはなかったんすけど、向こうからずっと認識されていて。『なんで京大卒業して、こんなとこでバイトしてるんだ』みたいな(笑)。その後、株本がコンサル会社に転職して、またやめて独立したタイミングで、仕事を手伝ってくれと連絡がきた感じです。そこでびっくりしたのが、自分がそれまでやっていた値付けと、株本がやってた値付けに大きな差があったことで……」

ーーと、言いますと?

岩野さん「僕が『この仕事は5万だ』って思ってたものを、株本は30万とかで売るわけですよ。『え、やっす』とか言われて(笑)。そこではじめて、自分のバリューってもっと高いものなんだと気づいて。もっと外に出て学ばないと、今後浮上できないなということで、独立して自分の会社をたてて株本とガッツリやるようになったんです。また3ヶ月ぐらいは、社会人初年度のようなタイムスケジュールで働いてましたね」

代表取締役になったいま見えてきた「野望」

ーーStockSunのホームページを見ると、上位5%のフリーランスしか残らないとのことなんで……

岩野さん「1パーです(笑)」

ーーすいません(笑)。相当な少数精鋭じゃないですか。結構、社内の雰囲気とかピリッとしてそうなイメージなんですが。

岩野さん「想像しているよりは穏やかだと思います。そもそもでいうと、StockSunは業務委託の人たちが集まった組織で、持ちつ持たれつみたいな関係性で、上下感覚もあんまりないです。お互いニーズにマッチするお仕事があったら一緒に頑張ろうよみたいな。ちょっと話戻すと、株本がいて、僕含めあと数名ほど一気に初期にジョインしたんですよ。その後、すぐに大きな案件が数件来たので、“必死に頑張る”っていう文化が出来上がったんですよね。なので、“楽して稼ごう”っていうマインドの方が来ても定着しないというか」

独自の審査基準をクリアしたパートナーが多数登録されている

ーーなるほど。ただ株本さんの著書『稼ぐことから逃げるな』っていう強めなタイトルを見て、そういった野心あふれる人の応募も増えたんじゃないですか。

岩野さん「ええ。こんな事言うと物議を醸し出すかもしれないんですけど、僕は新卒でフリーランスになるみたいなのは反対してます。そうなっていいのは、学生のうちに仕事で一度死にものぐるいの経験をした人。逃げずに、歯を食いしばって耐えて、成功事例まで持っていけたか。頑張る基準値が一定程度に引きあがっていないと、フリーランスになったところでキツいですね」

ーーちなみに岩野さんが一番きつかったのはどの辺のなんですか。

岩野さん「もうそれは社会人の最初ですね。肉体的にっていうよりは、マインド的な話で。自分は京大を出て、別の大学院に行ったことで、大学時代の同期とすごい差ができちゃったんですよね。同級生は誰もが知るような超大手の奴らばかりで、何も話すことができない。だから、起業当初は大きく成功していないのに『起業した』って言ってマウントを取ろうと頑張ってみたり(笑)。収入がどうかというより、人と自分を比べたときが、一番辛くなるかなあ」

ーーいま、働く上で何を一番大切にされてます?

岩野さん「『頼りにされる総量』ですかね。どんな些細な相談であっても、わざわざ時間取って、自分を選んでくれてるんだったら、精一杯期待に応えようとなりますし、もっとその応えられる総量を上げていきたいと考えています」

ーーなるほど。”ギバー”な立ち位置なんですね。

岩野さん「そう言われると照れくさいですけど……なるべく努めようとしてます」

StockSunのYouTubeチャンネルで株本氏より社長交代の経緯が語られた

ーー昨年、代表取締役が株本さんから岩野さんへと交代したことが、YouTubeでも発表されていましたが、今後どう展開していこうと考えていますか?

岩野さん「会社で言うと、僕が株本からパスされたとき10億ちょいぐらいの年商規模だったんですね。そこから10倍にはしたいとは思っていて。その先、僕のキャリアパスに関わってくるんですけど、“政治家バージョンのStockSun”を作る構想はしています。要は、政治家って『政党という会社の社員』みたいなもんじゃないですか。社員同士のしがらみによって停滞してる部分ってあると思うんですよ。だから業務委託っぽく、持ちつ持たれつの組織構造があってもいいんじゃないかなって。もっとStockSunが大きくなっていけば、その野望も現実味を帯びてくるので、いま一番仕事が楽しいと感じています」

壮大な夢を語っている際の岩野さんの表情は喜びに満ちていた

取材・文/東田俊介
写真/武石早代

岩野 佳佑(いわの・けいすけ)

京都大学法学部卒業後、拓殖大にて安全保障の修士号取得。在学中、政治家秘書や株式会社FiNCでのインターンシップを経験後、株式会社ユーティルを共同創業。同社ではサイト制作事業の立ち上げと拡大を牽引。2018年7月より独立し、StockSun株式会社に参画。多数のコンサルティング実績を作るとともに組織構築を行い、2020年より同社で2年連続売上1位を獲得。2022年8月より代表取締役に就任。
https://stock-sun.com/

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