【社員ヒストリーvol.2】協調性ゼロの子ども時代から、みんなの調整役へ
プロフィール です!!
鑓由希子さん
この人の所属企業・組織
rm-creativeが大事にしていること
『ひとつでも多くの笑顔をつくり 一緒に愉しめる人を増やし続けていく』 どんな仕事をするかより誰と仕事をするか。 技術、能力も重要なことですが、 それよりも、一人ひとりの考え方や姿勢が一番大切だと思っています。 スタッフ、パートナー、クライアントの垣根を越え、 同じ方向を見て、ともに取り組んでいくこと。 そうすることで、自然と笑顔が生まれ、 一緒に愉しむ関係になれると信じています。 結果、よりよいものをつくることができ、 その先で、はじめて社会貢献ができると考えています。 一緒に『笑い』『愉しめる人』たちを増やし続けながら 世の中に貢献していきます。
現在募集中の職種
rm creativeのメンバーってこんな人たち!
rm creativeはWEBサイト、WEBコンテンツを中心に制作するディレクター集団です。現在のメンバーは5名。少人数の会社だからこそ、次期メンバーになる方にも社員のみんなのことをよく知ってもらえたらと思っています。そこで弊社スタッフみんなの人となりやキャリアがわかる【社員ヒストリー】を紹介していくことにしました。第2回はWEBディレクターの鑓のこれまでの歴史を振り返ってもらいました!
幼少期~小学校時代はどんな子どもでしたか?
協調性が皆無…!?の幼少期
子ども同士の輪になかなか入れないタイプでした。幼稚園の頃は特に顕著で、当時の女の子の遊びとしてはメインストリームであったお母さんごっこを「(今後一切)やらない」と宣言して孤立したり、夏休みのイベントに一度も参加しなかったり(笑)。友達はすごく少なかったと思います。 小学生になってからは、とにかく犬に夢中でした。我が家では犬を飼えなかったので、ご近所の犬マップを作ろうと、休日朝から散歩中の犬の写真を撮ってまわっていました。犬の品種図鑑は当時の私のバイブルでしたね(笑)。この頃は友だちもだいぶ増えました。
何やら社会に不満がありそうな幼稚園時代の写真
青春真っ只中、中学・高校時代はどのように過ごしましたか?
人生の転機だったかもしれない高校の文化祭
中学ではあまり部活などに夢中になれなかったので、できないなりに勉強を頑張りました。先生には「志望校のランクを1つ下げたら?」と言われていたのですが、かなり無理をして志望校に合格。でも、そこで力尽きて高校では全然勉強しなくなりました(笑)。テストで一桁台の点数を取ったり、このままだと進級できないかもと学校から家に電話があったり…大人しい生徒でしたが、地味に手のかかるタイプでした。 そんな高校生活の中で、唯一しっかりやったのが文化祭の実行委員長でした。当時から裏方仕事は好きだったので委員会に所属していましたが、チームプレーが得意ではなかったし、今でいう“コミュ力”が求められる役割はやりたくなかったです。先輩の指名で役職が決定するシステムだったのでしぶしぶ引き受けましたが、でもこの文化祭が意外な人生の転機で(笑)。思えば、これが人生最初のディレクション業務だった気がします。生まれてはじめて人と協力して何かを作り上げていくことの面白さを知りましたし、次第に知らない人とコミュニケーションを取るのにも慣れました。自分の力ではできないことも、得意な人に協力してもらえれば実現可能になるんだ!という気づきもありました。“適材適所”は今でも仕事をする中でかなり重要視しているポイントですね…!
文化祭実行委員のメンバーと。高校卒業式。
高校卒業後はどう過ごしていましたか?
勉強はそこそこに…!の大学生活
“クリエイティブなこと”への漠然とした憧れをいだいている、ありがちなタイプの大学生だったと思います(笑)。でも自分の手で何かを作り出すことは難しいとも思っていたので、作り手の人たちを支えるような裏方、みんなの調整役のような仕事ができないかなとぼんやり考えていました。 そんなわけで学部の勉強はそこそこに、大学の広報課が発行している広報誌の学生スタッフとして活動することにしました。当時の大学広報課は編集スキルを持っている方を中途採用して誌面の制作を行っていたので、職員の皆さんが実際にデザイナーやカメラマンなど外部のスタッフの方と誌面を作っているところをそばで見たり、時に打ち合わせに参加させていただいたりしてとても新鮮でした。広報誌の制作だけではなくて、雑誌への広告出稿の流れとか、そんなことも初めて知ったんじゃないでしょうか。 学外では出版社のインターンに行ったりして、厳しい雑誌づくりの現場を体験させていただきつつ、(能力があるかはさておき)とりあえず体力面だけは大丈夫そう?!と思ったので、制作や編集などの職種を中心に就活を行うことにしました。半年ほどの期間でしたがたくさん取材に同行させてもらい、今でも取材の仕事の際に当時のことを思い出すことがあるくらい勉強になりました。
WEB制作の道にすすんだきっかけは何ですか?
内定者研修中のドロップアウト…
新卒での就職活動は売り手市場の時代だったので、内定はもらうことができたのですが、若気の至りとでも言いましょうか…内定者研修でドロップアウトしてしまいました…(苦笑)。あんまり大きな会社はどうしても性に合わなかったみたいです。その後、なんとなく映像制作会社でアルバイトをはじめ、大学卒業のタイミングで正社員になりました。実際に働いて、その働きぶりを評価してもらえたのがとてもうれしかったです。 映像がメインですがWEB制作もやっている会社で、撮影現場のお手伝いなどもしながら、将来的にはWEBのコンテンツ企画、ディレクションなどができるように勉強をはじめ、数年後にはWEBの案件をメインで任せてもらえるようになりました。 その後、WEBの方にもっと特化していきたいなと思うようになって、WEBコンテンツ系の制作会社に転職したのが25~26歳の時です。コンテンツ制作を志望していましたが、大型サイトの運用WEBディレクターとしての採用でした。しばらくは修業期間でしたね(笑)。でも、そこから数年経って、コンテンツの仕事を任されるようになった時に、WEBディレクションも多少はわかる人材として重宝してもらうことができて、人生ムダなことって実は意外と少ないのかもと思うようになりました。
新卒で働いていた頃。やる気に満ち溢れていたそう。
rm creativeに入社したきっかけは何ですか?
大好きな馬がきっかけでrm creativeへ
私は馬が好きで、趣味で乗馬をしたり、馬文化やウマの生態について調査することをライフワークとしているんです。自分のブログに馬に関する記事を書いたりしていて、もっと馬文化を一般に広められないかなと思っていました。そんな時に、弊社の自社メディア『Pacalla』を見つけました。Pacalla は競走馬の生産牧場、育成牧場の情報発信を主としたWEBメディアですが、そこで競馬以外の馬文化等についても記事を書かせてもらえないかと思ったのが入社検討のきっかけです。 自分の好きな分野の自社メディアで記事を書くというのは一つの目標でした。でもその一方で、これまでやってきた受託のWEB制作、コンテンツ制作の仕事を完全にやめていいものか…という気持ちもありました。やっと少し経験値がたまってきたぞ…というところで、手放したくはないというか(笑)。 その点、rm creativeはメイン業務がWEBのクライアントワークなので、今までの経験を活かして受託案件を担当しながら、Pacallaで新たな挑戦ができると思いました。実際に入社してみると、Pacallaの業務で取材のために馬産地などへの出張することも多く、想像以上に馬文化に関わる仕事をさせてもらえて本当に楽しいです。
Pacalla 取材の合間に…。