『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の人気企画「運動神経悪い芸人」の“ガチ王”として知られる松尾陽介さんは2021年3月にザブングルを解散し、芸人を引退。その後、「芸人のセカンドキャリア創出」などを掲げる会社OMATSURIを起業しました。そんな松尾さんに引退&起業の経緯や相方・加藤さんとの関係性、芸人の副業やセカンドキャリアを支援するビジネスの構想について伺いました。そして、「芸能界に未練はないが、芸人として悔しさはある」と言う松尾さんの胸の内とは——。
引退までの1年間、バーの店長をしてお金のことを勉強しました
松尾さんは、2021年3月に芸人を引退後、マーケティング支援やキャスティングを行う会社「OMATSURI」を起業されたということで。ぜひお話を聞きたくてお呼びたてしちゃいました。
はい、お金以外のお話もぜひ伺いたいので! まずは引退の経緯から教えてください。
40代という年齢的なことと、2019年の謹慎後にコロナ禍で仕事が減って、将来について考える時間が増えて不安になったからですね。
失礼しました(笑)。
その謹慎で、お仕事はどのくらい減ったんですか?
謹慎のときはもちろんゼロ(苦笑)。コロナ禍以降、単発の仕事がほぼ飛んでしまって、レギュラー番組が1つでした。
それで、この先は芸人に固執せず、別のことをするのもおもしろそうだなと思って、相方(ザブングル加藤さん)に「コンビを解散したいと思ってる」と僕から話しました。
「自分も不安はあるからわかる」とすんなり納得してくれました。10年前なら止められていたかもしれないけど、お互い50歳が見えて芸人の仕事が減ってきていたので。
相方と話がついたら芸人を続ける理由がなくなってしまったので、「よし、引退して新しいことをやろう!」と。
なるほど。けっこう前向きな引退だったんですね。それまでコンビ間で解散のお話はあったんですか?
1回もなかったですね。僕はピンで芸人をやるタイプではないから、昔から「解散=芸人を辞める」だと思っていました。
それで事務所との契約上、話し合いから約1年はコンビで芸能活動を続けることにしました。芸人の仕事をしながら、先のことを考えるのは楽しかったですね。何の根拠もなく、芸人を辞めてもどうにかなるだろうと思ってましたし。
辞めるまでの1年間は、起業の準備などをされていたんですか?
いえ、最初は起業の準備はせずに、バーの店長をしてました。10年近く通っていた行きつけのバーの店長さんが辞めるというので、立候補したら「どうぞ」って言ってくれたので(笑)。
当初から起業を考えたいたわけじゃないんですね。でも、なぜバーの店長を!?
僕は大学在学中に芸人になって、それからは芸人しかやってこなかったんです。大学も中退しちゃったし、社会経験を積もうと思って。
あと、今まで仕事を取ってくるのもお金の計算も事務所任せで、「自分でお金を稼いだ!」という実感が薄かったのもあって。それで、「1年限定で毎日店に立とう!」と決め、芸人の仕事が終わった後に店を開けてました。バーで帳簿を書いたりしていたので、だいぶお金や経営の知識が身につきましたね。
もともと飲み友達が多かったので、毎日誰かしら来てくれました。昔からお酒の席で、知らない人に声をかけられたら全員と連絡先を交換してたんで。
えっ……。見ず知らずの人と連絡先を交換するなんて、怖くないんですか?
頭がバグってるのかもしれないですけど、僕は怖くないんですよね。最終的にいちいち教えるのが面倒臭くなって、連絡先のQRコードの紙をテーブルに置いたりもしてました(笑)。
バーの仕事は人とのつながりができただけでなく、芸人の仕事が減っていた分、生活費を補えたので助かりましたね。あと、起業のきっかけもそのバーですし。
OMATSURIの共同創業者の藤本隆太郎とはこのバーで知り合ったんです。藤本はIT開発やコンサルの会社を経営しているんですけど、「一緒にやりませんか?」と声をかけてくれて。1人で起業するよりは2人の方がいいし、藤本は知識も経験も豊富なので、いろいろ教えてもらえるかなって。
まぁ、今考えたら僕1人だったら何もできなかったですよね。できるのは飲食の計算だけで、請求書1枚作れないどころかパソコンもいじれないですし。
今もできないです(笑)。
僕は営業マンとして、いろいろなところで人とつながって仕事を得ることが役割。とりあえず依頼を受けて、「これできるかな」って相談してます。
イベントの企画を考えたりタレントさんをブッキングしたり、芸能に関する依頼が多いですね。SNSやYouTubeの広告の打ち合わせでは、「最悪見つからなかったら、僕が出ますんで」って言ってます(笑)。
実際にやってみて、企画やブッキングの仕事は向いていると感じますか?
向いているというかラクですね。裏方とは言え、芸人時代とやっていることがそんなに変わらないので。
自分が引き受けられない仕事は、元芸人の後輩がやっている制作会社を紹介したり、横のつながりがあればどうにかなるな、と。ただ、ITに関してはまったくわからないので会議に藤本を呼んで。今、少しずつカタカナのIT用語を覚えているところです。
悔しさがあって、バラエティ番組はまだ見られない
お話が前後しますが、引退するとき、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の「さよならガチ王」という企画で華々しく送り出されましたよね。当時、どんな気持ちだったんでしょうか?
「いや、僕だよ? いいの!?」ってビックリしました(笑)。ああいった『アメトーーク!』は見たことがなかったですし。
『そろそろ にちようチャップリン』(テレビ東京系)でも2週に渡って引退企画をやっていただいて。めちゃくちゃ嬉しくてありがたかったですね。
引退されてからも『アメトーーク!』の年末スペシャルに“ガチ王”として出ていらっしゃいましたね。
引退後の出演もあるだろうなとは思ってましたけどね(笑)。今後も出演オファーいただければ、何でも出ます!!
新しいかたちですよね。引退後に元芸人の経営者としてテレビに出るって(笑)。
そうですね。こういったインタビューも含めると、引退前よりお話をいただいています(笑)。
たまにワイドショーにも呼んでいただくんですけど、僕自身まだ経営者としてチャレンジ中で、おもしろい話もないので恐縮してます。
あまり変わらず、ネタ合わせやネタ見せがなくなったくらいですね。今は余裕ができたなと感じていますけど、そのうち寂しくなるのかなぁ。
引退から1年経った今、バラエティ番組はどんな気持ちで見ているんですか?
いや、まだちょっと見られないんですよ……。辞める半年前くらいからなんですけど、バラエティ番組自体が見られなくて。
うーん、なんでだろう……、悔しさもありますね。今、若い芸人がガンガン出てきているから、いいなぁと思ってしまうんですよね。
では、元相方・加藤さんのご活躍も見てないんですね。
ご活躍されてますよ(笑)! 私たちはテレビで見てます! 加藤さんと連絡は取っているんですか?
用事もないし、相方とはまったく連絡は取ってないですね。
でも、いつか仕事を一緒にできたらいいなとは思います。番組で共演するのはまだ早すぎますけど、僕が裏方でイベントに呼んだら単純におもしろそうだし、話題にもなるかなって。仲が悪くて解散した訳ではないので。
24年もコンビを続けて、仲が悪くならないってすごいですね。
環境も性格も違いすぎて、そもそもぶつからないんです。加藤は結婚して子どもがいて、お酒もほとんど飲まない。一方、僕は未婚で毎日飲み歩いていて。加藤が破天荒で僕がまじめって思われがちですけど、プライベートは真逆。あいつはクソまじめだけど、僕はかなりルーズなんです。
まさに反対のイメージを持っていました。松尾さんから見た加藤さんはどんな方なんですか?
ものすごく堅実で、家族想い。悪く言えば相当なケチです(笑)。言い合いになると正論で返してくるタイプなので、ルーズな僕とは合わないんですよね。すごく変わってるから芸人としてはおもしろいけど、堅実すぎて一緒に行動するとつまんない。僕が女性だったら、絶対に結婚したくないですね(笑)。
セカンドキャリア創出って掲げたけど、芸人からの相談がないんです(笑)
先ほどのお話にもありましたが、有望な若手とベテランに挟まれて芸人を続けることは、やっぱり大変でしたか?
僕が芸人を始めた24年前は定年退職が当たり前だったので、先輩芸人も60歳過ぎたくらいで辞めるだろうと見越してましたけど、まさかずっと現役とは(笑)。今の芸人界は上が詰まってて、下の追い上げもすごいので、ちょうど僕らオンバト(NHK『爆笑オンエアバトル』)世代が一番キツイんじゃないかなと思います。
芸人はパソコン1ついじれない人も多いから、自分でYouTubeを始められないし、辞めて事務仕事もできない。かと言って、賞レースは芸歴の縛りがあったりするし。じゃあ、何をすればいいんだと悩む芸人が同世代に増えていると思いますね。
それで、僕は芸人のセカンドキャリア支援を事業として立ち上げたんです。同世代で大変な人も多いだろうから、その人たちの良さを引き出したい。それをするのが、同じ気持ちを味わってきた自分の使命だと思うので。今、急ピッチでその準備をしています。
企業さんからはすごい反響がありました。でも、芸人は誰も相談してこないんですよ! 芸人としてのプライドもあると思うけど、僕が信用されてない可能性もありますね(笑)。
元芸人からは数件ありましたね。
今や副業OKな事務所さんも多いので、芸人を辞めずに副業としてやってみたらと思うんですけどね。僕に声かけてくれたら、起業家さんとの橋渡しをしたり、イベントの企画を考えたりと、きっと現役の芸人たちの力になれるはず。でも誰も言ってこないので、ここで呼びかけてもいいですか(笑)。
はい、もちろんです!!
副業やセカンドキャリアをお考えの芸人さんは、OMATSURIの松尾さんまでご連絡ください!
ちなみに、芸人さんのセカンドキャリアとして向いている職業ってあるんでしょうか?
それよく聞かれるんですけど、本当に人によります!!
ただ、芸人を大まかにわけると2つのタイプがいるんです。1つは、しゃべりが上手で何でもできる万能なタイプで、一般の方が芸人に抱いているイメージに近い。どちらかというとツッコミに多いです。
もう一方は正反対で、人と接するのが得意ではないタイプ。こちらはボケに多くて、作家として作品を作るなどクリエイター的な才能があります。
でも、本当にさまざまなので、僕は個人に見合った仕事を提供したいですね。だって、話すのが苦手なボケの人に営業をやらせたら、2日でバックれますよ(笑)。
芸人さんってトーク上手だから、営業向きかなと思ったんですが……。
いやいや、みんながみんな話し上手じゃないし、そこをコンビで補いながら、テレビでネタとしてやってますからね。実は一般の人としゃべることがすごく不得意な人もいますよ。
では今後松尾さんは、話すことが苦手な芸人さん向けのお仕事も作っていくんでしょうか?
話すのが苦手な芸人には、企画力が必要な仕事に関わってもらいたいですね。創造力のあるタイプの芸人こそ、活躍の場はたくさんあると思います。
たとえ売れてなくても、芸人という価値を活かせる仕事はたくさんある
芸人を引退されて1年以上が経ちましたが、松尾さんご自身は芸人をやってよかったと思いますか?
辞めた今の方が芸人をやってよかったなと思います。芸人のとき、全然顔バレしないし、プライベートでは恥ずかしいからザブングルって言わなかったんです。
でも芸人を辞めた今はバンバン言ってます(笑)。ザブングルの名前を出せば、知ってる!って話の糸口になって、仕事につながることもありますからね。僕を知らない人には、加藤の写真をパッと出せばわかってもらえるし、芸人やってなかったらトーク力も身につかなかっただろうし、今は芸人になってよかったと思ってますね。
24年間の芸人生活で手に入れたものがいっぱいあるんですね。その芸人生活の中で、とくに苦しかったことは何ですか?
29歳頃まで風呂なしアパートに住んでたんですけど、1ミリも大変だと思わなくて。周りも同じ状況で切磋琢磨してたし、何なら楽しかったくらい。
でも、一度普通にメシが食えて、ちゃんとしたところに住んだ後は大変でした。もう風呂なしアパートには戻れないから、頑張り続けないといけない。当然、20代はトップを目指していたけど、ちょこちょこテレビに出させてもらうようになって、まわりの芸人の才能と勢いに圧倒されて、それがどんどん見えなくなった。それからがキツかったですね。
そうですね。人生の折り返し地点に立ったとき、この先どこに向かえばいいんだろうって。頑張った先で落ち着けるのかもわからないし、仕事がゼロになってもおかしくない状況だったので。
加藤さんがピンで活躍しているのを見て、嫉妬はなかったですか?
これが違うんですよ! 実はみなさんが思うほど、加藤がピンの仕事って多くなかったんです。僕が一緒に出てるのがバレてないだけで(笑)。
給料は折半ではなかったんですが、同じくらいの額だったので。収入がほぼ一緒で、街で顔を刺されない僕はラッキーだなと思いました。加藤はマスクしてても目元でバレるし、目を隠したらエラでバレるので大変なんですよ。
たしかにバレやすそうですね(笑)。才能があるのに辞めてしまった芸人さんもたくさんいらっしゃったと思いますが、松尾さんはどう感じていたんですか?
憧れていたカリカ※さんが辞めてしまったときはとくにショックでしたし、もったいないと思いました。
でも、今は自分も同じ立場になったので、芸人を辞めても別の道があると前向きに捉えてますね。起業した今なら、何かしら辞めた芸人さんの力になれるかもしれないので。
※2011年に解散。2022年、約10年ぶりに一般人の林さんと脚本家の家城さんが“ニューカリカ”を結成し、オンラインサロンを中心に活動を開始している。
ご自身の経験をもとに、これから芸人を目指す人に向けてアドバイスはありますか?
いやいやいや、「辞めた奴が何言ってんだよ」って思われちゃいますよ。
しかも、僕が若い頃はこんなに賞レースが主戦場ではなかったし、私生活ももっとのびのびしてて楽しかったですし(笑)。
今はコンプライアンスが厳しくなり、仕事だけでなく私生活にも制約が多く、芸人さんも大変そうですね。
実はそれも辞めた原因の1つなんです。せっかく勝新太郎さんとかに憧れて芸能界に入ったのに、コンプライアンスが怖くて全然遊べないんですよ(笑)!
それに売れている芸人さんは私生活もマジメだから、お酒が好きすぎる僕は余計ちゃんとしなきゃいけないというプレッシャーもありましたし。
そういうコンプライアンスと戦いながらも、副業や引退、セカンドキャリアを考えている芸人さんもいるかもしれませんね。何かメッセージはありますか?
もし、やむを得ずやりたくないバイトをしてくすぶってるなら、芸人の経験を活かした仕事を僕と一緒にやりましょう! 事務所さんと衝突せず副業できるようなルール作りも進めているので、その点はご安心を(笑)。
また、企業さんと連携して芸人が起業できるシステムを作ったり、これからさまざまなモデルケースを作っていくので、ぜひ期待していてください!
やっぱり芸人さんって企業や業界からの需要が多いんですか?
たとえ売れてなくても芸人っていうだけで、おもしろいことをしてくれそう!と興味を持ってくれる企業さんが多いですね。
今、世間的に芸人の価値が上がっています。だから、芸人自身もそれに気づいて、もっとその価値を活用してほしい。僕も芸人の地位向上のために、もっと頑張りたいと思います。
はい、ゼロですね!
ただ、加藤が夢に出てくることはあります(笑)。芸人時代はそんなことなかったんですけどね。
そうかもしれませんね。だから、いつか久しぶりに会いたいって思う日が来ると思います。そのときに飲んだらおもしろそうですね。向こうが同じことを思っているかはわかりませんけど(笑)。
松尾陽介(まつお ようすけ)
1977年愛知県名古屋市生まれ。1997年の大学在学中に名古屋吉本NSCに入学。1998年にお笑いコンビ「ザブングル」を結成、それに伴い大学を中退。1999年より東京へ進出し「ワタナベエンターテインメント」に所属。2007年のM-1グランプリにおいてファイナリストになる。2008-2014年、キングオブコント準決勝進出。2021年「アメトーーク」の「さよならガチ王」(2021年4月1日放送)をもってザブングルを解散し、芸能界を引退。同月からマーケティング支援や案件仲介などを展開する株式会社OMATSURIを創業し、同会社の代表取締役社長に就任。
撮影/武石早代
取材・文/川端美穂、おかねチップス編集部