フィットネス系自社メディアを運営する傍ら、D2C事業で「VALX(バルクス)」というブランドを展開する「レバレッジ」。代表の只石昌幸さんは2016年にフィットネス業界サイト「ダイエットコンシェルジュ」の運営を開始。そして2019年に人気トレーナーの山本義徳さんとタッグを組み、「VALX」を立ち上げました。
通販業界で「D2Cでいま一番伸びている会社」と言われ、右肩上がりの成長を続けている同社。只石さんにここに至るまで道のりを聞けば、いささか波乱万丈のようで……。転落を繰り返しながらも、復活を遂げた只石さんの人生を前後編に渡って追いかけます。前編では、いまの只石さんをつくり上げた起業するまでのお話をお届けします。
不良少年を目覚めさせた恩師のある言葉
只石さん、今日はよろしくお願いします! 「VALX」はD2C業界では、いま一番伸びている会社と伺っていますが、ぶっちゃけ、こっち(指で丸を作りながら)の方もかなりスゴイですよね!?
本当にありがたいことに、立ち上げから1年で月商は1桁億円を超えました。主力商品のバルクアップサプリ「EAA9」は、1年で販売数が11万個を突破しています。
やばっ! たった1年で月商が1桁億……って、もう次元が違いすぎます。D2C事業を立ち上げから1年足らずで業績を上げていて、只石さんはずっと上り調子の人生なんでしょうか? これまでの道中での苦労や失敗のご経験なんてありますか?
ありがとうございます(笑)。う〜ん、これまでの人生で苦労と思ったことは1つもないですけど、失敗談ならめちゃくちゃあります。中学から大学生まではとにかくやんちゃで、大人になってからも無職を経験しましたから。
えっ。ちょっとそれ、詳しく聞かせてください。まず、どんな少年時代を過ごしたんですか?
実は、とても厳格な家庭で育ったんです。両親ともに両方のおじいちゃんが起業家で、大成功した後に没落してしまい、ものすごく苦労していました。一時はそれなりの暮らしをしていたんですが、事業で失敗をしてからは借金取りが来るような生活に一変してしまって。
そんな家庭環境だったもんだから、「絶対にお前はいい学校、いい大学、いい会社に入って、我慢料(給料)を受け取りながら一生涯転職もしないで生きることが一番幸せになる道だ」と言われて育ったんですよ。
我慢料ですか(笑)。将来まで親御さんに決められちゃったんですね。
だから僕はその反動で、中学校に上がる頃には不良の道に進むようになったんです。中学3年生の6月、学校で友達とじゃれていたらその友達が階段から転がり落ちちゃって。救急車が来てパニックになっていたとき、先生に「お前は頭がいいのにもったいない」って言われたんですよ。学校の成績も悪いし勉強なんて全くしていなかったので、「どうして頭いいなんて言えるんですか?」って聞き返したんです。
「お前は確実に本を読んでいるような会話をしている。授業中の発言も、読書で知識を積み重ねた人じゃないとわからないようなことを話している」と言ってくれたんです。その事件が起きたとき、不良といっても中途半端な不良だったから、本当は怖くて震えていて。だから、この先生の言葉はとても嬉しかったし、なんだか救われた気がしました。
うぅ……、泣ける。ちなみに、不良の傍ら読書はされていたんですか?
ええ、そうなんです(笑)。親が厳しくて門限が19時で、しかも、その後のテレビも禁止だったんです。だから家で本を読むのが唯一の楽しみでした。小さいころから本だけはめちゃくちゃ読んでいたので、それを先生は見抜いてくれていたんですよね。この先生の一言がきっかけでスイッチが入って、「勉強するから、塾行かせて!」と親に頭を下げました。
超進学校に進むも、誘惑に負け続けた学生時代
はい。塾の先生の教え方が超絶良くて、勉強がめちゃめちゃ好きになりました。でも、そうなると、いままで付き合ってきたヤンキーたちが僕をいじめてくるんですよね。バットでボコボコに殴られたり……。
それはキツいですね……。自分だったら、そんな状況で勉強なんてできないかも。
いや、僕はその反対で勉強で見返そうと思いました。いじめられた悔しい思いを忘れないように、手に根性焼きを入れてやりましたよ。こうすれば勉強するたびに、その気持ちを思い出して、もっとやる気になれるんじゃないかと思って。いまでもその傷は残っていますよ。
その傷を見るたびに、悔しい記憶がよみがえりそうですね。
でもこれは、努力の勲章なんですよ。あのとき、多分人生で一番努力しましたから。その結果、偏差値が40台から70くらいまで上がって、北関東の中でも有数の進学校に合格できたんです。
進学校に入学して、そこで僕の人生が変わっていくと思うじゃないですか?
本当に遊び呆けていました。女の子のケツばかり追いかけ回して、ギリギリ現役で法政大学に受かったんですけど、そこでも遊び呆けてしまいまして。大学時代といえば、サーフィンとスノーボード、合コンしかしていなかったです(笑)。
ところが、就活という辛い現実を突きつけられたんですよ。やっぱり、遊んでばかりのヤツなんて、どこも相手にしてくれないんですよね。内定をもらえなくて焦っていたときに、「キーエンス」という電子応用機器の製造・販売事業を展開する会社の封筒がポストに入っていて。それで開けてみたら『平均年収1,600万円、君も可能性を追わないか』って書いてあったんですよ。一目見て、「ここだ! ここしかない!」って、全身に鳥肌が立って……。必ずこの会社に入ろうと思いました。
年収1,600万円の大手に入社するも、3年でクビに。どん底人生へ転落
運命の出会いですね。とはいえ、キーエンスに入るのも大変だったんじゃないですか?
そりゃもう。まずはロン毛を就活用のマジメな髪型にして、その足で本屋に行きました。就活本だけでなく、キーエンスに関するありとあらゆる本を買い込んで、壁にでかく「打倒キーエンス」って貼り出して勉強しまくりましたね。さらにOB訪問をして必要としている人物像を洗い出し、キーエンスで活躍できるであろう一人の人物像をつくり上げて。SPIの出題の傾向と対策を万全にして採用試験に挑んだら、内定を勝ち取れたんですよ。
やるとなったら徹底的にやるんですね。念願のキーエンスではどうだったんですか?
いやぁ、これが全然ダメで。入社自体が大きな間違いだったというか。
就活であまりにも本気を出しすぎたがために、いざ入社してみると成績が超上位の人たちしか入れない部署に配属されちゃったんですよ。
わぁ……。でも只石さんなら、その部署でもうまいこと仕事をこなせそうですが。
これが給料の良い会社に入社することが目的だったので、仕事そのものに魅力を感じていたわけではなかったんです。だから仕事へのモチベーションが全く上がらなかった。ぜんぜん仕事しなかったので、最終的にドロップアウトを仕向けられました。体裁の良いクビです。
ええ。営業先を訪問すると上司に伝えていながら、実は公園で寝ていたりして。いま考えても最悪なことをしていましたね。そうしたウソがバレて、会社をやめざる得なくなったわけです。
しましたよ。大手企業の求人でも「キーエンスからの転職なら大歓迎!」って雰囲気だったんですが、条件提示されると年収に納得できなかった。「キーエンスで働いていた俺が、こんな安月給じゃ働けるわけないじゃん」って。全く努力もしてないし、会社で成績を上げていたわけでもないのに、プライドだけは超一流で。もうどうしようもない人間でした。
テレビでホストの世界を観ていたら、なぜか「ここならキーエンスの給料を余裕で抜ける」と思ったんですよね。でも現実はそんな甘くなかったです。
まず歌舞伎町が怖かったんで、浅草で始めたんですよ。そこでうまくいかなかったけど、キーエンス上がりの僕はこう思いました。「俺ほどの人材は浅草じゃ生かしきれないんだ」って。それで浅草から歌舞伎町に行ったら、もっとダメでした。
先輩たちがいろいろと教えようとしてくれても、完全に勘違いをしていた自分はプライドを捨てきれず、そのプライドが邪魔して、先輩たちのせっかくの教えや、やり方を見ようともせず、お客さまに対してもどこか横柄な態度で接していました。だから同僚にもお客さんにも好かれるはずがないし、ましてや売り上げなんてあげられるわけもない。当時の僕は、本当に自分本意のプライドの塊だったんです。
不良から返り咲いて超進学校に合格し、キーエンスに就職してそこでも挫折を味わったのに、ですか?
人間って、そう簡単に変われないんですね。それからは全く働かずに、当時知り合った女性の家に転がり込んで。だけど、とある日、女性と尋常じゃない大げんかに発展したんです。それまでも自分に感謝の気持ちがないから、些細なことでけんかになってましたけど、この時ばかりは相手がとても憤慨し、とんでもない修羅場になりました。そんな彼女の姿を見たことなかったので、「こんなに人を悲しませ、怒らせてまでして、俺はいままで何を守ってきたんだ?」と、ようやく目が覚めたんです。
ここではじめて自分を客観視することができて、「過去の栄光にとらわれていただけで、いまは人生の中でもどん底にいる」と気づいたんです。それと同時に、「これがどん底なら、これ以上落ちることはないんだ」って逆に勇気が湧いてきて。もう自分には何もないのだから、プライドや見栄は必要ない。彼女にも土下座してこれまでの過ちを謝罪して、心を入れ替えることにしたんです。
傲慢な心や無駄なプライドを捨てる決心ができたんですね。
おっしゃる通りです。それで、ずっとマウントを取りたいがため、キーエンスを辞めてから連絡を取っていなかった友人に、これまでの経緯を素直に打ち明けてみたんです。もう助けを求める勢いで。
本当に親身になっていろいろアドバイスしてくれて。「ベンチャー企業として起業してみたら?」とか、「パソコンあげるから、ブログでアフィリエイトやってみたら?」とか。僕の失敗や挫折をバカにするでもなく、とにかく何でもかんでも教えてくれた。それで僕もう、「世の中あったかいな、俺今まで何してたんだ」って涙が止まらなくなって……。その友人の助言のおかげで、自分でビジネスをやってみようという気持ちになれたんです。そこから人生が劇変していきました。
そうです。こんなこともあって、この先の人生で大切にしようと思ったのが、何をするにもまず人に聞くということ。友達の後押しもあったし、転職活動はいつでもできるからってことで、自分でビジネスやってみることに決めました。
数々の失敗から学びを得つつも、誘惑に負け、自身の傲慢な心に流されて、何度も失敗を繰り返してきたという只石さん。起業に至るまでのエピソードだけでも、山あり谷あり。続く後編では、そんな只石さんが起業し、D2C事業を成功させるまでの物語をお送りします。
撮影/SHUNYA KAWAI
取材・文/小山田滝音