東京都の防災ブック「東京防災」やパンデミック対策情報サイト「PANDAID」の制作、横浜のイノベーション戦略「YOXO」のデザイン立案など、社会をより良い方向へ進化させるデザインファーム「NOSIGNER」。代表の太刀川英輔さんは学生時代に「NOSIGNER」を立ち上げ、最初の数年間は匿名で活動していました。2011年の東日本大震災を機に名前を公表し、現在では公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会(JIDA)の理事長を務めるなど、日本を代表するクリエイターとして知られています。
次世代を担う新しい職業を生業としている方々へのインタビュー企画「シゴトとワタシ」。今回はそんな太刀川さんに、仕事を始めたきっかけや大切にしていること、お金に対する考え方を伺いました。
“かっこいい”は何の役に立つの?
あらゆる質問に答えてくれる気さくな太刀川さん
今日はよろしくお願いします。太刀川さん、オーラがすごくて緊張しちゃいます……。
全然そんなことないでしょ(笑)。なんでも聞いてください!
ありがとうございます。では早速ですが、学生時代は慶應の建築学科で隈研吾さんの研究室に所属していたと伺っておりまして。太刀川さんがデザインの道に進んだ理由って?
どこからどこまでが建築の範囲なのかわからなくなってしまったので、全体をデザインと捉え、そのプロフェッショナルになろうと思ったんです。 だから、僕としては「進んだ」というよりも「広がった」という表現のほうがしっくりきますね。いまも建築や設計の仕事は受けていますから。ちなみに、このオフィスの設計も僕らが手がけているんですよ。
ははは。ありがとうございます。全体のデザインの話でいうと、たとえばこのオフィスのタイルは、廃棄物をリサイクルして開発されているものです。そうすると、それは「インダストリアルデザイン」になるし、トイレのサインをつくったら「グラフィックデザイン」になります。こんな風に建築とデザインは、本来、境目のないものだし、分けるのはナンセンスだと感じたんです。
NOSIGNERのオフィスは横浜中華街の一角に
たしかに、建築とデザインって重なり合う部分が大きいですね。
そうですよね。「何をつくるか」ではなく「なぜつくるか」に重点を置いて突き詰めていくと、だんだん何屋なのかわからなくなっていく。そういう現象は、真剣に目の前のことに向き合った人みんなに起きるものだと思います。歴史に名を残した建築家にも共通する話で、ル・コルビジェもミース・ファン・デル・ローエも、家具デザイナーとして有名ですよね。当時は建築家=インダストリアルデザイナーだったんです。
憧れの巨匠たちも建築家もデザイナーも兼ねていた、と。
高度経済成長期に専門分化が進みすぎてしまったけど、いまはまた元の姿に戻りつつあるような気がします。 インダストリーをデザインしなおす時代に僕らは生きているから。
太刀川さんの学生時代の卒業制作(2004)。新宿中央公園を持続可能なセントラルパークに改造することを構想した
大学院在学中にNOSIGNERを立ち上げたのはどうしてですか?
当時、建築家を生業にするには2つのルートがありました。1つは、アトリエ事務所に就職して土日もなく薄給で働く道。もう1つが、ゼネコンなど大企業の設計部に就職する道。僕は両方ともピンと来なくて、第3の道を自分でつくろうとNOSIGNERを立ち上げました。
その選択肢、めっちゃかっこいいですね。初期はどんな仕事をしていたんですか?
とにかく最初は苦労しましたよ。だけど、活動していくうちに2つのクライアントに出会ったんです。その1つが徳島県の木工組合。家具のコンペで賞を取って表彰式に出たら、おじさんたちが困っていることをたくさん話してくれました。後日「何か僕にできることはないですか」とアプローチしたら、「プロデューサーになってくれ」と言われて。
そうそう、たいした実績もないのに、いきなり徳島県の木工プロデューサーに抜擢されました(笑)。
学生時代、突如木工プロデューサーに任命されたそう
太刀川さんもすごいですが、学生を信頼して任せてみる職人さんたちもすごいですね!
職人さんたちとは一緒にいろんなものをつくって、縦横両方に引き出すことができる引き出しは、Wallpaper誌に「世界で一番美しい引き出し」と称されたりしました。ただ、そうやってデザインは有名になったけど、「家具がめちゃくちゃ売れて職人さんたちが助かる」という状況にはならなかったんですよ……。
売るための仕掛けが足りなかったから。考えてみれば職人のおじさんたちは営業をしていなかったし、販路や認知度拡大として大切なサイトや広報戦略もつくってなかった。僕もマーケットをわかっていなかった。依頼されていたのは家具をデザインすることだったけど、目的を達成するにはそれだけじゃダメ。マーケティングやブランディングや広報にも取り組まないといけなかったんだと気づきました。
太刀川さんが手がけた「Cartesia」は、「世界で一番美しい引き出し」と評された
依頼されたことではなく、その大元にある目的に応えないといけない、ということですね。
はい。同じ時期に出会ったのが、東京大学先端科学技術研究センターです。キャンパス公開の展示デザインやサイン計画、研究室のポスターや中吊り広告など、さまざまなグラフィックをつくらせてもらいました。
最初は「先端研究者の彼らに対して僕らが役に立てることなんてあるのか?」と思ったのですが、彼らはすごく難しくて大事な研究をしているけど、世の中にその価値をわかってもらえていなくて、研究のインパクトが出ない、という課題を抱えていたんです。サイエンスとサイエンスコミュニケーションは同じくらい大事なんだけど後者は軽視されがちで、デザインはそれを補うことができる んだ、ということがわかりました。
この2つのクライアントに出会ったことが、僕の道を決めたと思っています。理念をコミュニケーションデザインによって伝え、最終的なアウトプットはインダストリアルデザイン的に、または建築的に美しく設計する。そうしたひとつづきの流れを体験できた。それまでは、単純にかっこいいものが好きで、かっこいいものがつくりたかったけど、「“かっこいい”って何のため? 何かの役に立つの?」という問いが生まれて、「“かっこいい”は伝わるし、物事を洗練させ、関係づける力がある」と腹落ちしたんです。
太刀川さんが制作した東京大学先端科学技術研究センターのキャンパス展示(2008)
無名での活動が世間に知れ渡るという想定外
匿名で活動するも、NOSIGNERという名が広まっていく
はい。僕には、「本当にすごいものは誰がつくったものかわからないものだ」という信念があるんです。 有名な建築家はたくさんいますが、そもそもその前に、ガラスとか、階段とか、カーテンウォールといったものを最初に発明した人がいるはずなんですよね。でも、その人の名前は残っていない。そういうものをつくりたいと思って、2006年からずっと匿名で活動していました。
いえいえ。ただ、それを5年も続けていくと、不都合なことが起こるんですよ。それは、NOSIGNERとして有名になってしまった こと。「しまった、これは想定していなかったぞ」と思いました(笑)。
東日本大震災が転機となりました。 もともと、オープンソースデザインに関心を持っていたんです。「誰でもつくり手になれる」世界をつくりたくて、家具の図面を公開したりしていました。ただ、オープンソースデザインをどこにどう役立てていいかはわからなくて。それが、震災でめちゃくちゃ役に立ったんです。「ペットボトルは湯たんぽにできます」といった情報をTwitterで流したら、とても喜ばれました。
そこで、震災から2日後に、オープンソースデザインを集めて被災地を助ける「OLIVE」というサイトを立ち上げたんです。でも、とてつもない数の人が亡くなっているなかで支援活動をするときに、匿名でやるってどうなんだろうと思って。 「NOSIGNERとして有名になってしまった」という矛盾を抱えていたことと重なって、名前を公開することにしました。 そのときまでは数人の仲間と運動体や部活のような感じでやっていたけど、そこからちゃんとした組織になっていきました。
震災後すぐに太刀川さんが立ち上げたWEBサイト「OLIVE」。仮設トイレやマスクのつくり方などを発信し、多くの人の危機を救った
相手によって価格を変えることはしない。でも、付き合い方は変えている
太刀川さんはグッドデザイン賞金賞やアジアデザイン賞大賞など、数多くの国際賞を受賞している
ここからは、お金にまつわる話を聞かせてください。起業当初は、どうやって価格を決めていましたか?
最初は本当にいくらにしていいかわからなくて、いま考えるとアホみたいな価格で仕事していました(苦笑)。 先端技術研究センターの展示会場のデザインを担当したときなんて、設計料・施工費含めて30万円でしたから(笑)。クライアントも限られた科研費から捻出してくれていたし、僕たちも実績がほしかったので、当時はそれでよかったんです。ちなみに3年続けたその30万円の空間デザインのうち2つは、オランダのTHE GREAT INDOORS AWARDで世界ベスト5に選ばれました。
THE GREAT INDOORS AWARDで世界ベスト5に選出されたTECHTILE#3の展示会場
す、すごい……。価格に合わせたクオリティにするのではなく、それ以上の結果を出しつづけてこられたんですね。
表現の世界で、価格が低いからといってクオリティを諦めるのは、自分の首を締める行為だと思います。どんどん安売りのループになってしまう。 そんな信念で仕事に向き合い、僕たちにしか出せないバリューや考え方、水準を提示していくうちに、その価値をわかってくれる人、僕たちの表現やデザインを信じてくれる人に出会うようになって、だんだん価格も上がっていきました。
太刀川さんが制作した「東京防災」のハンドブックなど。2020年には、コロナウイルス感染症から命を守る共同編集WEBサイト「PANDAID」も立ち上げた
現在は大企業から小さなNPOまで、幅広く仕事を受けていらっしゃいますが、どのような価格設定にしているんですか?
相手によって見積もりの基準を変えることはしていません。 それはアンフェアだから。でも、相手によって付き合い方を変えることはしています。
大企業は決算で精算したいから、イニシャルで払いたい。小さな会社はイニシャルで払うと大変だから、レベニューシェアにしたい。中くらいの会社はその間を取りたい。そうした個々のニーズに合わせて、僕らも我慢しなくてよくて、相手も無理せず依頼できるところを見つけるようにしています。 スタートアップでお金がまったくないけど理念がいい会社の場合は、僕たちが投資家となったり、あるいはストックオプションで払ってもらうこともあります。
ちなみに、NOSIGNERは基本的に、「社会や未来にいらないものはつくりたくない」というスタンスの事務所なんです。だから、相手がやろうとしていることに共感できて、かつ「この人だったらやりきれるだろう」と感じる人の仕事だけ受けるようにしています。
太刀川さんは、カンボジア発のライフスタイルブランド「SALASUSU(サラスースー)」のデザインにも携わる
いいデザイナーほど、仕事がコンサルに近くなっていくと思います。でも、そういった部分はなかなか見積もりに反映しづらいのではないでしょうか。
うちではデザイン費のほかに、ストラテジックプランニング費を入れています。経営者と一緒に「いま何をデザインするべきか」を考えるところからやっていますから。デザイナーは、ちゃんと自分たちがいくらの価値を生み出しているのかを自覚して、見積もりに反映するべきだと思います。
デザイナーの持つ可視化の力、抽象的なものを具体的な形へと落とし込んでいく力は、会社を経営する際にも必要な力です。 だから、デザイナーは経営者のパートナーになれるんですよね。レオナルド・ダ・ヴィンチも、メディチ家の横でそういった働きをしていたんじゃないかな。
横浜市のイノベーション政策「YOXO」のデザイン戦略も行う
「進化思考」でスタッフを育成する
「進化思考」に基づき、スタッフの育成を行うそう
デザインファームの経営者として、スタッフの賃金や待遇についてはどう考えていますか?
まず、すごく才能がある人と働きたいと思っているので、そうでなければ採用しません。そして、その才能にはちゃんと報いたい。うちの基準となる給与テーブルは普通の会社より多少いい程度ですが、プロフェッショナル手当というものを用意しています。これは、1年以上勤めると給料がいきなり2割プラスになるもの です。
2割プラスってすごいですね。働く側もやる気と向上心が湧きそうですし。
しかもうちの会社は、デザイン事務所にしては珍しく、上場基準に見合う程度にはホワイトな環境です。ただ、最初からこうだったわけではありません。みんながインターンで薄給だった時代もあります。そうした熱量も大事だし、両輪なんだろうなと思います。中の状況を整えるから優れた人が集まるし、優れた人が集まるからデザイン費も上がっていく 。そうやって少しずつバランスが取れていくものなのかもしれませんね。
今年4月に生物の進化プロセスから創造性を高める方法を学ぶ『進化思考 生き残るコンセプトをつくる「変異と適応」』という本を上梓したのですが、この考え方をもとにした創造性教育を大学や企業で行っていて、自社内でもスタッフの育成に活用しています。
太刀川さんは本書の中で、創造性を発揮するためには、常識にとらわれずクレイジーになる「変異」の思考と、状況を把握して物事の本質を理解する「適応」の思考を行き来することが必要だと説明している
変異には「変量」「欠失」「融合」「逆転」「分離」「交換」「擬態」「転移」「増殖」という9つのパターンが、適応には内部の構成要素を把握する「解剖」、外部の環境を理解する「生態」、過去にさかのぼって進化の系譜を読み解く「系統」、FORECAST型/BACKCAST型2つのアプローチから未来を考察する「予測」という4つの手法がある
メンバーのデザインや提案にダメ出しをする際、「解剖」的にダメとか、「予測」的にダメといったかたちで伝えています。 僕たちのクオリティチェックは厳しいけれど、客観性が保たれているから、ワンマンリーダーのデザイン事務所にありがちな理不尽さはそこまでないと思います。 メンバー自身も、「いまは生態的な手法が弱いから、プロジェクトの先にいる人たちが誰で、なぜこれが求められているのかを想像できるようになります」と自分を分析することに使ってくれています。
最後に、太刀川さんのような働き方を目指す方へのアドバイスをお願いします!
「自分がいま持っているもので、目の前の役に立つ」ことを大事にしてほしいです。 目の前の人の役にも立てない人が、すごい人の役に立てるわけないし、すごいツールがあったらできるというものでもありません。 目の前のことを面白がって、「さらに良くするには」と考えて、相手に提案してみる。その先に、その人とたちとしか行けない場所があって、世界に評価されるかもしれない。 僕が徳島のおっちゃんたちと何ができるだろうと考えているうちにインダストリアルデザイナーになり、困っている研究者のために勉強するなかでグラフィックデザイナーになったように。
デザイン職を目指す人へ、熱いエールを送ってくれた太刀川さん
デザイナー以外の職業でも、同じことが言えそうですね。
そう思います。それともう1つお伝えしたいのが、「素人だからクオリティが出ない」なんてことは絶対ない 、ということ。実際僕は、インダストリアルデザインも空間デザインも、最初から一番高いところに目掛けてボールを投げて、それが当たりました。自分が見てきたもので一番かっこいいものを、自分もつくれるはずだと無理矢理信じたことが大事だったと思うんです。
もちろん、素人だからめっちゃ時間はかかるし、できあがったものを見て「なんか足んない気がするな」と思うわけです。でも、自分のなかでベストだと思うところまで磨いてみる、という体験をすることはめちゃくちゃ大事です。 そうしないといつまで経っても当たらないから。 いきなりトッププロ、たとえば世界的な建築家に勝つことは難しいでしょう。でも、「図面の枠を綺麗に引く」という一点だけなら少しグラフィックデザインを覚えれば勝てるかもしれない。仕事を細かく分解していくと、「ここなら勝てる」というところが見つかるものです。めちゃくちゃ狭い範囲で、一点突破すること。それを積み重ねることが、成長を止めない秘訣だと思います。
太刀川英輔(たちかわ えいすけ)
NOSIGNER代表、進化思考家、デザインストラテジスト、JIDA(公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会)理事長、慶應義塾大学特別招聘准教授、キリロム工科大学理事。
創造性の仕組みを生物から学ぶ「進化思考」を提唱し、様々なセクターの中に美しい未来をつくる変革者を育て、創造性教育の更新を目指すデザイナー。デザインで美しい未来をつくること(実践:社会設計)、自然から学ぶ創造教育で変革者を育てること(理念:進化思考)を軸に活動を続けている。プロダクト、グラフィック、建築などの領域を超え、次世代エネルギー、地域活性、SDGsなどを扱う数々のプロジェクトで総合的な戦略を描き、成功に導く。グッドデザイン賞金賞、アジアデザイン賞大賞ほか、100以上の国際賞を受賞。著書に『進化思考』『デザインと革新』がある。
NOSIGNER:
https://nosigner.com 『進化思考』特設サイト:
https://amanokaze.jp/shinkashikou/
撮影/SHUNYA KAWAI 取材・文/飛田恵美子