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“崩壊”したファンド事業のその後。『BreakingDown』運営の起業家・溝口勇児の「バックステージでの闘い」

“崩壊”したファンド事業のその後。『BreakingDown』運営の起業家・溝口勇児の「バックステージでの闘い」

現在、国内のYouTubeで無類の人気を誇っているコンテンツ『BreakingDown』。代表取締役社長をつとめる格闘家・朝倉未来さんとともにBreakingDownのCOO兼国内事業の代表として仕掛けなどを行っている人物がいます。それがWEIN GroupおよびBACKSTAGEのCEO、溝口勇児さん。

溝口さんは、予防ヘルスケア×AIテクノロジー(人工知能)に特化したヘルステックベンチャーFiNC Technologies(以下FiNC)の創業者でもあり、資生堂やANA、第一生命などの大企業などから累計150億円超の出資を受けるなど、経営者として華々しい過去がありました。しかしFiNC代表退任後、ネスレ日本元社長の高岡浩三氏、プロサッカー選手の本田圭佑氏と2020年5月に設立した「WEIN挑戦者FUND」において、当時の社内のNO2によるクーデターによって解散する事態に。その際、様々なメディアで憶測が入り乱れる事態が起きました。

そうした激動を経た上で行う今回のインタビュー。まさに「苦労は買わずに聞け!」のコーナー名を体現する溝口さんに、これまでのハード・シングスとこれからの闘いについて伺いました。

自己肯定感が低かった幼少期

ーー2021年2月の騒動の後、溝口さんの動向が気になっていましたが、『BreakingDown』で名前を見るとは思いませんでした。

溝口勇児さん(以下、溝口さん):最初は“ステルス”で参画していました。また、こうやってメディアの取材依頼は来ていたのですが、すべてお断りしてきました。理由は、まだインタビューに答えられるほど自分が納得できる成果をあげられていないし、そんな暇もなくて。いま『BreakingDown』以外にも良い感じになっている事業があって、もう少ししたら発表できるかなと思っています(※2022年11月24日に3Dホログラムディスプレイを展開する株式会社3DPhantom設立を発表。2023年にも発表がいくつか控えている)。

ーーそもそも『BreakingDown』はどうやって立ち上がっていったんですか?

溝口さん:もともと、朝倉未来くん、朝倉海くん、YUGOさんの3人が大好きな友人で「1分間最強を決める格闘技大会を盛り上げたい」っていう話を聞いていて、僕自身も格闘技が好きだし、情熱を持って取り組めるんじゃないかなと思って参画しました。

2月19日に開催された『BreakingDown7』メインビジュアル

ーーあと先日、溝口さんが出資されてる「PROGRIT」が上場していましたね。エンジェル投資家の一面は相変わらずあるようですが。

溝口さん:去年は、僕の投資した会社のうち、3社がエグジットしたんですよね。一気にそれだけいったんで「調子良いな」とは思いました(笑)。何より、そうした刺激を与えてくれる会社人が周りにいるのはありがたいことですね。

ーー溝口さんの経歴を見てると、パーソナルトレーナーから社会人のキャリアがはじまって、ヘルスケアアプリの開発、ファンド事業、そして友人が立ち上げた格闘技イベントのサポートと、ジャンルはバラバラですけど「社会をよりよくしたい、頑張ってる人を応援したい」みたいなのが根底にありますよね。

溝口さん:そうですね、「お金を稼ぎたい」とか「自分のため」っていう原動力はそこまでなくて。誰かのためとか、大切に思う人のためにっていう思いがある方が、やる気もやりがいも生まれますね。結果としてお金や仲間、成長が後からついてくるという感覚です。

ーーそのあたり、生い立ちだったり、トレーナー時代の経験が関係してくるのでしょうか。

溝口さん:あると思います。大人になるまで人から褒められたり、必要とされたり役に立ってる実感を感じたことがありませんでした。母親がいわゆる“ヤンママ”で、その当時は僕も後ろ髪だけやたらと長いヘアスタイルでした(笑)。小学校の授業参観に来ると、サングラスに爆音でウォークマンとか聞いてて、もう普通に周りに漏れ聞こえてるんですよ。すると他のお母さんたちは「やばい親がいる」と噂するわけじゃないですか。だから、息子の僕にも“とばっちり”がきて、クラスの子の親から「溝口くんとは関わっちゃダメ」と言われて遊べなかったり、典型的な嫌がらせを受けていましたね。もちろん僕も人に優しくできなかったし。だから自己肯定感も高くなかった。本当に子どもの頃の記憶って、悪いものしかないんですよね。

“少し人とは違う”生い立ちを振り返る溝口さん

溝口さん:だけど、高校在学中にトレーナーになってからは人か「ありがとう」って感謝されるようになったんですよ。まあ、そのときは金髪で青い目っていう出で立ちだったんですけど(笑)、おじいちゃん、おばあちゃん世代の人たちは、特に優しく接してくれて。家族のことを聞かれて「僕にはおじいちゃんやおばあちゃんがいません。お父さんもです。そしていろいろあってお母さんとも縁を切っています……」と複雑だった家庭環境のことを伝えると、「私がお母さんにor私がおばあちゃんになってあげる」みたいな人がいっぱいいてくれて。毎日お弁当もたくさん届いたし、お米やおかずはいつもプレゼントしてもらっていました。ジムにも「溝口くんに会いたいから頑張って通ってる」と言ってくれる方々も多くて。誰かに必要とされるという、人生で味わったことのない喜びが、いまの行動原理を作っていると思います

ーーフィットネス業界には10年以上いたんですよね。ずっととどまるという考えもあったのでは?

溝口さん:ありましたね。ただ、その後トップを任せてもらって、5億を投下して作った大型のジムが潰れることになり、何十人もの従業員やインストラクターたち、一人ひとりと面談して、辞めてもらわなきゃいけない事実を告げるときは本当に辛かった。会員のおじいちゃん、おばあちゃんにも肩を掴まれて泣かれたりして。そのとき「もっと力をつけないと誰も救えなくなる」と思い、起業への道を歩み出したんですよね。当時、市にもかけあったんですけど、全く話も聞いてくれなくて。

ーー「市にかけあった」とは?

溝口さん:このジムの建造は、市と連携して始まったプロジェクトでもあったので、市長に直談判しに行ったんですよ。ただ、ハナから市長は会ってくれないし、代わりに対応した市議会議員たちも、事業再生計画書を持参したのに、僕が24歳でまだ若かったからか、終始小馬鹿にされた感じで全然目を通してくれないし。力がないと、こんな雑な対応されるんだなと。

自ら創業した会社の代表を退任

ーーそこからFiNCを創業されて、若手社長として溝口さんの名前は知られることになりました。一定の結果も残し、いわゆる“力”を手に入れた期間だと思います。

溝口さん:それまでやっていたパーソナルトレーニングは高額で、一定の人しかサービスを受けられませんでした。ちょうどその時期に、スマートフォンが普及し始めたので、それぞれ検査結果に合わせたサービスをデジタルで提供できれば、時間と場所にとらわれず、しかも効率的に、多くの方に1人1人に合った最適なソリューションを届けられると思ったんですよね。既存のヘルスケアアプリも、体重や食事管理、睡眠や歩行記録など、それぞれ一つだけを管理するものばかりで、包括的な健康支援ができていなかったことから思いつきました。立ち上げて8年が経過し、年齢や性別を問わず多くの人に利用してもらったんですが、多面的な観点から考えて、CEOを当時CTOだった南野くんに交代することになりまして。

ーーFiNCの職を退任するまでの様子は、ご自身のnoteに書かれていましたが、1番の原因はなんだったのでしょうか?

溝口さん:FiNCは、「今後取得した会員のヘルスケアデータをどう活用するのか、予防ヘルスケアテクノロジー企業としてテクノロジーを理解している人間が代表を担うべきではないか」という議論が以前からありました。それに僕は一貫して「自分は代表にはこだわりはない」、現FiNCのCEOの南野にも「いつか代表を変わるつもりでいてほしい」ということを伝えていて。理由は、もっと社会の良好な発展に寄与したい、社会にインパクトを出したいと思ってたからです。それが実現できるなら、自分がトップであることに全くこだわりはなかった。もちろん、インパクトを出すための戦略と、上場を優先する戦略で、意見が他の経営陣とぶつかっちゃったのも、理由の一つではあります。ひいては「僕の実力不足」が1番の原因かなと。

ーーその後新しく立ち上げたWEINでのファンドでも、志半ばで解散することになってしまいましたよね。

溝口さん:振り返ると、僕がこれまですれ違ってきたケースって、「時間軸」がテーマにあるのかなと思います。自分は目標のためなら目先の損なんか全然取っちゃうのですが、長期的な目線で考えられる人ばかりではないわけです。「一瞬のリターン」を優先するか、「一生のリターン」を取るか。ビジネスにおいてもフローだけど大きな収入を取るか、ストックされる収入を取るか。ファンドのことで炎上してしまったときは、結局No.2やパートナーとの時間軸の相違だったんですよね。もう少し深い関係を築けていたら、ビジョンも共有できて、長いことやっていけたのかなという多少の後悔もあります。

ーー集まっていたメンバーはそうそうたる経歴を持った方たちだったじゃないですか。語れる範囲でいいんですが、「嫉妬される」とか、ほかの感情も騒動に結びついたと思いますか?

溝口さん:ある種、“リーダーのワンマン”みたいなものが、短い時間で成果を出すには有効だったりするわけですよね。とくに僕はそのタイプで、戦略の意見が割れても、支持する数に差がないんだったら、いの一番に行動する人が決めるべきだと思っていました。となると、僕以上にコミットしている人がいなかったので、最後は自分が決断することになります。となると、パートナーの中には「なんで意見が通らないんだ」という発言が出てくる。そういったことを繰り返して、どんどんズレは広がっていったのかもしれません。

ーーなるほど……。

溝口さん:また、騒動の際は自分が「お金を私的に使い込んだ」と言われてましたが、そんな事実は全くないと断言します。これに関しては、証拠も永遠に出してもらえないまま、思い込みで全社員の前で糾弾されました。また騒動の1週間前の僕の誕生日にはアートをプレゼントしてくれたり、「これからも一緒に困難を乗り越えていこう」という動画メッセージをもらっていたばかりだったので、最初は起きたことの理解ができませんでした。それにファンドに関しては、他の人に、少しでも多く分配できるよう、僕が一番リターンが少ない設計にしていました。僕が一番時間を注いでいたし、最初に僕が全部お金を集めたんですけどね……(苦笑)。事実確認が僕やCFOや経理の責任者に一度もなくて、あることないこと言われて、お金でも損をしなければならないのは、辛かった経験です。

「合理主義」が身についたマクドナルドのバイト経験

ーーそんな過酷な挫折の後に「しばらく事業はやめよう」みたいな気持ちにはならなかったんですか。

溝口さん:それは全くなかったですね。クーデターの直後に、社会で活躍している著名な方に立て続けに3人ぐらい会うことがあったのですが、一様に「まだ君は若いし、情熱やエネルギーがあるんだから、また船を大きくできるよね」と励まされました。たしかに、今までの人生は向かい風ばかりだったけど、下を向いてたことはなくて。その結果、このポジションにいられるんだよなと。いまは情熱が内からたぎりまくっていて、『いけるとこまでいってやろう』という気持ちです。

ーーその情熱もそうですし、「人を巻き込む力」っていうのが溝口さんの強みかなと思います。以前本田圭佑さんも「巻き込む力がすごい」とインタビューで話していて、不器用なところがありながらも、見捨てない人がいるのはそういうことなのかなと。

溝口さん:近いところで一緒に仕事をしていれば、それなりに僕の人となり、考えは伝わってくれるかな思います。現在、WEIN Groupの人事責任者の山中さんやBACKSTAGEを一緒に立ち上げた小澤くんなど、ファンドのこともあった直後に自分の会社や社員ごと仲間に加わってくれた経営者が4名いるのですが、彼ら彼女らには感謝しかないですし、今があるのは支えてくれるみんなのお陰です。

ーーチームが崩れたところから再編成して、現在は順調に回り始めているんですね。『BreakingDown』も参画当初から順調だったのでしょうか?

溝口さん:参画した当時は、赤字がふくらんでいた状態でした。これはテコ入れしないと思って、僕のチームでコミットして、マーケティングやセールス含めて、戦略設計から入りました。元からいた、BreakingDownチームのメンバーにも要求水準をあげて、役割を細分化して、それぞれに責任者を置き、毎週1.5時間ミーティングで進捗確認をして、パフォーマンスが低ければ責任者を変えて。本当はそんなことやりたくないですが、異常なこだわりやハードコミットがなければいいコンテンツなど作れません。疎まれたとは思いますが、運も重なりめちゃくちゃ結果が出たので信頼を得ることができました。やっぱり短期間で成果を出すには先ほどもお伝えしたようにトップの異常なこだわりと、それを実行するチームの存在、またとにかく合理を貫かないとダメだと思っています。僕は天才ではないのでなおさらです。

ーーその合理主義は、経営者になって染み付いたものですか?

溝口さん:いま考えると、学生の時マクドナルドでバイトした経験が大きい気がします。小さい頃貧乏だったこともあってか、作ってから時間が経ったハンバーガーを破棄しなければいけないルールに反発を覚えていました。そのルールを守らない僕に対して店長が、できたてと時間がたったハンバーガーの食べ比べをさせられたんですよね。それが、まあ全然味が違うんですよ(笑)。「もったいないと思う気持ちはわかる。でも、マクドナルドにはこれまで積み上げてきたブランドと味がある。君の行動で、長年のファンが離れていくこともあるんだぞ」とこんこんと説かれて。本当にその通りだし、そこからは時間帯別の売上データを店長としっかり分析して、作る量を調整して、ゼロ廃棄を実現できたんですよね。

ーーそんな経験が元にあったとは。ただ、合理的というのも加減が難しそうですね。徹底的な合理主義は人によっては「パワハラ」と感じてしまうことも……。

溝口さん:そうですね。ファンドのときも「パワハラ」に関して報じられていましたが、そう思われていたのは真摯に受け止めています。約束を果たす、結果を出すためには時に非情さ、厳しい意思決定も求められます。仕事を引き受けたならばその期待に誠実に応える、結果を出すために必要な組織を新しく作り直しました。今、あれから2年が経ちましたが、業績的に言えば、十分に上場できる規模になりました。自分は言葉で説明するのが好きじゃないし、新規性の高いことをしていれば他の人から理解を得られるのも難しい。ただあの頃と違うのは、僕を信頼してくれて、言葉を適切に翻訳してくれて、事業を推進してくれる人たちが周りにいる。だから、僕もその人達を信じて仕事するだけですね。

「こんな話あんまりしてこなかったな」とインタビュー後の溝口さん

ーーいま長期的に目論んでいることはあるんですか?

溝口さん:具体的には言えないことが多いのですが、「社会に大きなインパクトを出す」事業には違いありません。今考えてるものは、あまりにエッジが効いたものだし、慎重にならないといけないの類のもの。あと、それを動かすにはお金と仲間がもっと必要で。明確なロードマップがないうちにメディアで口には出しづらいので、これに関しては機を見て発表させてください。

ーーそう言われると気になってきます(笑)。

溝口さん:今のままだと日本社会の未来は暗いと思っています。それをただボーッと見守っていられる性格ではないので、自分たちがその先頭を立って推し進めるのでもいいし、社会を変えようとしてる人の隣で並走するのもいい。どちらであっても社会にインパクトを出せる存在に自分を成長させたいと思っています。

ーーちなみに最後に聞きたいんですが、溝口さん自身は『BreakingDown』に出場しないんですか?

溝口さん:まあそういうことも言われたりしますけど……基本は出たくないですね(笑)。今は仕事が第一優先で、練習する時間もないですし。もし、やるんだったら、ファンドの件で疎遠になってしまった本田圭佑と試合したいですかね。拳で語り合ったらまた新しい関係が築けるかもしれないので。

溝口勇児(みぞぐち・ゆうじ)

高校在学中からトレーナーとして活動。トップアスリート及び著名人のカラダ作りに携わり、2012年にFiNC Technologiesを設立し、代表取締役社長CEOに就任。総額150億円超の資金調達後、2020年3月末に退任。2020年4月に現在のWEIN GROUPを設立。2021年に株式会社BACKSTAGEを創業、2022年に国内NO1ホログラムディスプレイを展開する3DPhantom株式会社CEO及び『1分間最強を決める。』をコンセプトとした格闘技イベントBreakingDown株式会社COO/国内代表に就任。WIRED INNOVATION AWARD2018イノヴェイター20人、若手社長が選ぶベスト社長に選出。

撮影/武石早代
取材・文/おかねチップス編集部、ヒガシダシュンスケ

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