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「全くワークしなかった」一年目の苦い思い出 ランサーズ取締役・曽根秀晶、華麗な経歴の裏にあった“紆余曲折”

「全くワークしなかった」一年目の苦い思い出 ランサーズ取締役・曽根秀晶、華麗な経歴の裏にあった“紆余曲折”

東京大学大学院工学系研究科建築学専攻を卒業後、マッキンゼー、楽天、そしてランサーズの現取締役と、順調なキャリアを積み重ねてきた曽根 秀晶さん。一見すると、計画的に、そして着実な道のりを歩んでいるように見えますが、実はその時々で悔しい思いを経験し、何が足りないかを学び、考え、実行していった結果、いまのポジションがあります。

これから社会へ飛び立つ人にとっても、ロールモデルになるような曽根さんの“仕事人”としての歴史をインタビュー。目指す職種の方向性は違えども、同氏の山あり谷ありのキャリアは、働く上での指針になってくれるはずです。

就職して早々に「イエローカード」

ーー曽根さん、大学時代は「建築」について学んでいたんですよね。なぜマッキンゼーを選んだのでしょうか。

曽根 秀晶(以下、曽根)さん:それこそ最初は、建築家になりたいという思いが強くありました。大学時代、設計で食べていくことを考えて、その後諦めて、でも諦められなくて、また大学院で2年間学んだ経緯があって。建築関連だけじゃない企業も受けてみようと、マッキンゼーの面接に行った時、「お茶の市場規模を算出してみてよ」っていう、いわゆるフェルミ推定の基本的なことを聞かれたんですよ。当時はビジネス分野のことに興味なかったので、「市場規模ってなんですか?」と、素で聞き返したんですよね。そしたら、 「あ、君は市場の定義を根底から問い直すそういうタイプなんだね。クリティカルシンキングができる人だ」と、だいぶ勘違いされまして(笑)。

ーー好感触を得たんですね。

曽根さん:その後こちらも、コンサルの業務内容に興味を持つようになってしまって。調べてみると、交渉の対象から、社会の構造までリサーチしていくっていうことで、すごく知的好奇心が沸いてきたんですよね。社会を変えるほどのダイナミズムを持ち合わせていたことも、建築業界ではなくマッキンゼーを最終的には選ぶ要因になりました。

ーー実際に入社して業務に当たるわけですが、面食らうこともあったんじゃないですか?

曽根さん:最初の一年は全くワークしませんでした。ビジネスのことがわからない、英語がそんなに得意ではない、正しい敬語も使えないっていうので。それこそ最初の6週間は座学研修をして、問題解決するにはどうすべきか、仮説思考とは何かみたいなことを叩き込まれたんです。それで「俺ならできるはずだ」と思って、実際のプロジェクトに入ってみたら、1ミリも使えない。何を喋っても突っ込まれて、アワアワする状態が続いて、言葉が発せられない、失語症のような症状が出てきました。

試練の一年目を振り返る曽根さん

ーー それはつらい時期ですね。

曽根さん:それで最初の1年目にイエローカードを出されたんですね。要は「あなたをプロジェクトにアサインしたくないです」という意味です。同期がプロジェクトにアサインされて、日々成長して充実感を覚える中で、「これ調べておいて」と端切れ仕事だけしか降ってこない自分。大体、ひとりがクライアントと仕事すると、一日数十万円のフィーが発生するんですけど、2年目にさしかかるときにアサインされた際の僕のフィーは0円でした。追い込まれた状態のプロジェクトで、ようやく僕は「覚醒」をしました。

ーー気になる言葉ですね。一体どういうことをされたんですか。

曽根さん:「バリューを出すことに全力でコミットした」というのに尽きるんですが、お客さんの立場に立って、仮説に基づいて提案、分析をして、アウトプットをして……初めて「曽根さん」と名前を覚えられたプロジェクトでもありました。それまでさっぱりだったのに、結果が出てきたことによって先輩からは「おい、一体どうしたんだ」みたいな感じで言われて、V次回復のきっかけになったプロジェクトでしたね。

ーー自分の中で何かを変えたと。

曽根さん:それまでは、抽象的な分析をデスクでしているだけって感じだったんですけど、お客さんのところに常駐して、日々接して、何が課題なのかを吸い上げるという、「直接対話すること」に重点を置きました。そうすることで、主体的に考えるようになって、やるべきことの解像度が高まっていったんですよね。判断をするスピードみたいなものも、マッキンゼーで鍛えられたんですけど……「ネクタイ事件」っていうのがありまして。

ーーネクタイ事件?

曽根さん: 真夏の名古屋で、新サービス検討のユーザーインサイトを得るために富裕層向けのインタビューを行うという機会があったんです。移動はマネージャークラスとタクシー移動。到着の15分ぐらい前に「曽根、そろそろ着くからネクタイ締めようか」と言われて、そこで僕は持ってないことに気づいたんです。もちろんタクシーからすぐに蹴り出されて(笑)、周りにはコンビニが見当たらない。何をしたかって言うと、近くにあった中華料理屋さんに入って、藁にもすがる思いで「貸してください!」と頼み込んだんです。

ーーすごい話ですね(笑)。

曽根さん: まあ、本当は「昼食をこぼしたんでネクタイがなくて……」という口上でも大丈夫だったはずなんですが、マネージャーはプロジェクトを成功させることと、部下である自分をを成長させることを両立させるっていう意味で、教育目的で蹴り出して僕の反応を見たわけですよね。「こいつ、どういう対応するんだ」みたいな。それは極端な例ですけど、マッキンゼー時代は常に考えさせられる場面が多かったですね。

一転して”ド営業”からスタート

ーーその次は楽天に移られるわけですけど、どうしてまた?

曽根さん:直接のきっかけでいくと、マッキンゼーで、海外でMBAをとるか社外で経験を積んでからまた戻ってくるっていうタイミングがあったんですが、僕はMBAをとりにいくよりも、実際に事業やサービスを作ってみたいと思ったんです。話をうかがった当時の楽天のビジネスモデルはとても新鮮で、中小の企業店舗さんの可能性を、ITの力でエンパワーメントしていて、そのモデルを海外に展開することで、グローバルNo.1インターネットサービスカンパニーを目指そうとしていた。すごくワクワクしましたね。

楽天では様々なキャリアを経験した

ーー他のインタビューでも語られてましたけど、楽天に入ってからは、社内で事業を色々やられてきたということですが。

曽根さん:そうですね。現場営業もあったし、事業企画もありましたし、新規事業もやらせていただいたりして、最終的には経営企画、全社戦略まで広がりました。ちなみに、楽天は執行役員で入った人であろうが、当時必ず最初にやるのが「営業」だったんです。僕は期間限定の営業配属ではなく、専任での配属だったんで一日60件ぐらいは電話営業してましたね。

ーー結構タフなスタートですね。

曽根さん:メディアガイドのない広告を、目標数字に到達するためにガンガン電話で営業するんですが、新卒の子がノンロジックで売ってるんですよね。「分析をする」というのが染み付いていた自分にとって、それまでの常識やプライドは捨てないと、この世界では生き残れないと学びました。5年ほど楽天にいたんですが、営業をやってきた1年間で、楽天という会社の「コア」みたいなものが学べた気がします。

ーー現在のランサーズに入社されるにあたっては、どういう経緯があったんですか?

曽根さん:2014年の夏ぐらいですかね。楽天時代の先輩にランサーズの存在を教えてもらいました。もともと建築家という広義のデザイナーを目指していたところもあって、それまでにない新しいビジネスモデルでクリエイターをエンパワーメントしていることに、心動かされたというか。日本の社会課題のど真ん中には労働力、人口の減少があって、活用しきれていない人材に目を向けて、その仕組みをつくるっていうことにすごく大義を感じたんですね。実際に、社長の秋好に会ってみて、もう「ここしかない」という気持ちになっていました。

ーーキャリアパスはどうなっていったのでしょうか。

曽根さん:最初は経営企画とか広報、次にコーポレート担当や、人事の担当責任者もしながら、新規事業とM&Aもやって、CSO/CFOという立場になっていきました。

ーー聞いていると順調にキャリアアップしている感じですね。

曽根さん:いや、そんなことはないんです。そう聞こえないように言わないといけなかったですね(笑)。実際は3回ぐらい大きな谷がありました。ひとつお話すると、2016年、会社全体としてはすごく成長していたんですが、業界全体の存在意義そのものが問われるような大きな事件がありました。くわえて、ちょうど同時期に、経営チームがなかなかまとまらな仕事の「4P」というフレームがあって、ぼくの中で大事にしているのはPurpose(目的)、People(仲間)、Profession(業務)、Privilege(待遇)の順番なんですけど、その上から2つがスコンと抜けていった感じがあった。自分自身が何のためにこのサービス、この企業を育てているのかみたいなところに、大きな激震が走った険しい谷の時期でした。

どんな境遇の人でも「安定」はない

どん底の時期を乗り越えた「コーチング」そして長文のブログ

ーーそこからどう局面を変えていったんでしょうか。

曽根さん:はじめて経営コーチングを受けたのが大きかったですね。コーチングを経た結果として自分でやろうと考えるに至ったのは、なぜ自分はここにいるのか、何をしたいのかっていうのを、何万文字も使って20本のブログにするという、結構トンデモなソリューションでした(笑)。ただそれは、自分の覚悟を外に言うっていう儀式として必要だったんですよね。できること、やるべきことはもちろん、自分の好き勝手なことも書いて、「俺はこれから変わる」と決めた瞬間に、景色も変わっていって、胸のつかえがスッと降りたんですよね。

ーーそうしたコーチングを受けるのは、社会人として年月が経ってからのことですよね。それまでは、「跳ね返り力」というか曽根さん自身の資質、能力で乗り越えてきたんじゃないでしょうか。

曽根さん:自分自身が社会人としてどうだったかって振り返ったときに、良くも悪くも、「コンプレックスがない人間」だったのかなとは思います。「ある程度自分だったらこなせる」っていう自信はあるから、大きな会社でコンサルをやった後、イチから“ド営業”をやるにしても、気にせずに飛び込んで、「まあ傷を負ったら別に治せばいいじゃない」ていう感覚で進んでいた。逆にプライドみたいなものが見えてこないからこそ、ハングリー精神がない奴と周りから思われてもいたんでしょうけど。自分ではそれを「すべり力」と表現していますね(笑)。

ーーなるほど。「すべり力」があったから、普通であれば異なる職種に適応するのに時間はかかるはずが、シームレスに新しい環境に入っていけたと。今後、ランサーズにおいてはどんなビジョンを描いていますか。

曽根さん:「1億総デザイン社会」にするっていうのをもう10年以上前から妄想していて、それはランサーズがやりたいこととも重なる部分があるので、一緒に追い求めていきたいです。個人が、よりパワーを持って、ひとりひとりが「株式会社自分」のような形になれば良いし、それを後押しするプラットフォームになればいいなと思っています。

曽根 秀晶(そね・ひであき)

ランサーズ株式会社 取締役
2007年よりマッキンゼー・アンド・カンパニーで、コンサルタントとして主に小売・ハイテク業界の大手クライアントの経営課題を解決するプロジェクトに従事。2010年より楽天株式会社において、「楽天市場」の営業・事業戦略を担当後、海外デジタルコンテンツ事業のM&A・PMIを推進、グループ全体の経営戦略・経営企画をリード。2015年2月、ランサーズに参画し、2015年11月より取締役に就任。

撮影/酒井恭伸
取材・文/ヒガシダシュンスケ 

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