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エッセイスト・りょかちの私を変えたお金のハナシ#04「喫茶店で3,000円投げつけられて、お金が持つ価値に気がついた」

エッセイスト・りょかちの私を変えたお金のハナシ#04「喫茶店で3,000円投げつけられて、お金が持つ価値に気がついた」

IT企業に務める傍ら副業コラムニストとして活動し、昨年エッセイスト・ライターとして独立したりょかちさんの“お金にまつわるエピソード”をお届けするこの連載。今回は「喫茶店で3,000円投げつけられて、気がついた」ハナシ。

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人間の心が折れるのは、「悔しい」「悲しい」と思う時じゃない。「こんなに頑張って、バカみたい」と思う時だ。

全身の力が抜けていく感覚。もう二度とちゃんと力が入らなくなるような感覚。その瞬間のことはいつまで経っても、しぶとく覚えていたりする。

たとえば私の場合は、“喫茶店で、3,000円を投げつけられた日”のことだ。


その人は、今思えば最初から怪しかった。
私の友人の名前を出して「あの子と仲いいんですよ」と話すものの、その子の情報は全く更新されることはなく、その子からも一度もその人の名前を聞いたことがなかった。私がSNSで大きい実績を告知する時には連絡してくるものの、普段の私には興味がないようだった。

だから、“壁打ち”という仕事が始まったときも、すごく嫌な予感がしていたのだが、何度も何度も連絡してくるので、25歳で誰かから指名で依頼を受ける経験も少なかった当時の私は、ついつい仕事を受けてしまったのだ。

隔週で対面の壁打ち、メッセージで頻繁にアイデアのフィードバックをする仕事だった。根が真面目なので、「仕事を受けたからにはちゃんと取り組もう」と思い、いつも一生懸命に対応した。時には、短い文章や資料をつくることもあった。

「この仕事っていくらなんですか?」という質問は冒頭から何度もしたが、はぐらかされるまま仕事は進む。その日も、カフェで対面の打ち合わせをした後、何度も話をしていて心苦しくなりながら聞いたのだ。

すると、その人は「ああ」と小さく返事して、さっきまでニコニコしていた表情はどこへやら、財布を取り出して私にこう言ったのである。


「そんなに、お金が欲しいなら、ほら」。


そうして私の顔の方向に千円札を3枚を投げた。私は怒りの反射神経が鈍い。だからその場で怒れなくてヘラヘラしてしまったのだけど、そんな自分も含めて、帰り際じわじわと怒りと情けなさが襲ってきた。

私の仕事が役に立たなかったのかもしれない。だけどじゃあ、なんで何度も依頼してきたのだろう。お金がなかったのかもしれない。じゃあ最初からそういえばいいじゃん。

もらった3,000円の存在をすぐに忘れてしまいたくて、帰り道にタクシーに乗る。そうすると、ものの数十分で3,000円は消えてしまった。

お金がほしいんじゃない、軽んじられたくないのだ

ある程度の年齢になったからか、あるいは、それ以来警戒心が強くなったからか同じようなことはなかったが、今でも、そういう “自分の仕事の価値を軽んじられる気持ちになる”ことは時々ある。

例えば、私はTwitterのフォロワーが人より多いので、しばしば「この俺のつくってる商品、無料で宣伝してみてよ、どういう反応がくるか見たい」と言われることがある。

SNSを一度でも真剣に運営したことがある人ならわかると思うが、SNSのフォロワーは、継続力と精神労働とホスピタリティの結晶だ。心を尽くして頭を捻らせて、少しずつ信頼を得ていく。

それを直接的な費用がかからないからと言って、「ちょっとやってみてよ」と言われると、普段捻っている頭や心尽くしの価値が小さくなったような気持ちになってしまうのだ。

それはきっとSNS投稿に関する話だけではないのだろう。先日「『送料無料』と言われると、自分たちが透明人間のように感じる」と運び手が語る記事も見かけた。

もちろん、SNS投稿のケースも送料無料も、言葉を発した側にはそういった意図はないのかもしれないが、汗水流して出した成果が気軽に生まれるものだと思われていると感じてしまうと、私たちの“一生懸命”の行き場がどこにもない。

そうして、悔しくも悲しくもなれなくて「バカみたいだな」と思ってしまうわけである。

お金とは、多様で熱量高いメッセージを伝える媒体

「お金とは?」という問いに対して回答するときに、しばしば使われる、3つのお金の役割がある。「価値を測る(尺度)」「価値の交換」「価値の保存」だ。

つまり、付与されている役割から見ると、お金は、“価値のやりとりの利便性をあげるため”に生まれたと言えるだろう。

さらに、元々は物々交換などでやりとりしていたところから、お金に変化したという経緯を追うと、お金とは “汎用的に使える価値を証明するもの”だとわかる。

お金は、複雑な価値のやりとりをシンプルにする、価値の結晶。それはつまり、お金の意味を深く見つめれば、その時々によって、様々な意図や思いが込められているということだ。

ある時は「ありがとう」の気持ちが込められているし、またある時は「尊敬しています」という気持ちが込められている、また別のときには「あなたが必要です」だったりする。さらに飛躍した例を言えば、「元気でいてね」「応援している」なんてこともあるだろう。本当に多種多様だ。

また、私たちはお金を使っていろんなことができる。モノはもちろん、間接的に時間も買える。だからこそ、裏返せば、お金を渡してくれるということは、そういった選択肢を我々に与えてくれているのであり、その人は代わりに自分の選択肢を失っているとも言える。言葉にならない、感謝やリスペクトがそこにある。

お金はあまりにも多様なメッセージを含む媒体だ。だけど本当にざっくり、「価値を感じてます」というメッセージングをしていることだけはわかる。そして、お金が、そういった、様々な愛に溢れたコミュニケーションが詰まっている媒体だからこそ、想定していた賃金をもらえないとモヤモヤするのだろうと思う。

「お金は大事じゃない」を心から言える人はいるのだろうか

もちろん、「報酬の高い仕事だけしか受けない」と言っているわけではない。物事には予算があるのを知っているし、ときに、お金より価値を感じるものを見つけて、一生懸命仕事をすることもある。

だけど、「お金にうるさいのは卑しい」「お金ばっかり大事にする人ってちょっと軽蔑する」「お金について言及しすぎるのは鬱陶しい」あるいは「お金以外に価値を見つけることこそ奥ゆかしい」みたいな言い方はどうかと思うのだ。「お金は大事」ということは自明ではないか。それを前提に全てを始めたい。

お金は誰かに多様な選択肢を与えるツールであり、多様な感謝や尊敬を伝えるツールである。だから、「お金は大事」。そう合意してはじめて、お金を超える価値を持つものも尊くなるのだとも思う。お金に高い価値がないなら、お金じゃない報酬もたいした価値があるとは言えないのだから。

お金にはいつも意思が乗っている。メッセージがこもっている。だから、仕事に本気になれる。もらう側も渡す側もお金の尊さを感じることで、熱のこもった議論ができる瞬間だってある。私はそんな本気の瞬間に立ち会い、そして熱量の価値ある昇華を生み出すために、日々自分を研鑽していきたい。

それをお金に貪欲という人がいるかもしれないが、別にそれは恥ずべきことじゃないはずだ。私は、たくさんの人と熱量を交わす仕事をしたいし、大事な人から熱い思いを受け取ることができる力を持ちたい。そして私も、誰かにその思いを伝えられる人になりたいと思う。

りょかち

1992年生まれ。京都府出身。神戸大学卒業。学生時代より、ライターとして各種ウェブメディアで執筆。「自撮ラー」を名乗り、話題に。現在では、若者やインターネット文化について幅広く執筆するほか、企業のコピーライティング制作なども行う。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎)。朝日新聞、幻冬舎、宣伝会議(アドタイ)などで記事の連載も。

Twitter:https://twitter.com/ryokachii
note:https://note.com/ryokachii/

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