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りょかちのお金のハナシ#07「サイズダウンする幸せ。愛でるか否定するかは私たち次第」

りょかちのお金のハナシ#07「サイズダウンする幸せ。愛でるか否定するかは私たち次第」

エッセイスト・ライターとして活躍するりょかちさんが、“お金にまつわるエピソード”をお届けする連載。今回は、年々縮小していく「小さな幸せ」についてのハナシ。

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仕事終わりでどんなに脳が疲れても、帰りに食べたい晩ごはんのメニューだけはスイスイ考えられるのはどうしてだろう。「もう何にも考えられない!」と思っているのに、空腹感とともに舌の上に、食べたいモノの味が浮かび上がってくる。

さて、今夜わたしがいただきたいのは、「牛タン定食」です。

どこかのCMで見かけたことのある口ぶりで、気がつけば頭の中は牛タンに占有された。

少し高い晩ごはんだが、その日は緊張する会議があったので、頑張った自分にGOサインを出した。渋谷の店内に入り、一人でカウンター席に座ると、目の前に張り紙が貼ってある。「原材料価格が現在3倍近く高騰しております。それに伴い、各メニューを値上げさせていただきました。ご了承ください」。

10円のお菓子が値上がりするとニュースになる時代だが、元々「高いメシを食うぞ!」と意気込んだ私にとって数十円の値上げはギリギリ脅威ではない。大きなメニューに高速で目を泳がせて、前回来たときと同じメニューを頼んだ。

しかし、湯気を立てながら牛タンが運ばれてくると、私は思わず目を丸くした。

皿の上に並べられた牛タンが、先日出会ったときよりもあまりにも小さく、心細そうに横たわっていたからだ。

私たちの「小さな幸せ」、物理的に小さくなってない?

こうした “小さなご褒美” に「あれ、こんな感じだったっけ……」と、モヤモヤすることに最近時々出会う。久しぶりに買ったポテトチップスとか、久々に飲もうと思った炭酸飲料とか、小さなご褒美が久々に出会うと物理的にも小さくなっているのである。

どうしてだろう、最初から「小さな幸せ」と思って消費しようとしているのに、思っていたよりも小さいと悲しい気持ちになる。日常の中の小さな幸せは、価格的には小さくても、そこに乗っかる思いは案外重いものだったりするものだ。

私たちが財布からお金を絞り出して手に入れる小さな幸せが、人知れずサイズダウンしていく背景にはきっと、今あらゆるところで聞かれる “円安” や “原材料価格の高騰” が存在しているのであろう。教科書で読んでいた頃は「円安ってどっちが損するんだっけ……」と頭を悩ませたものだが、自分の暮らしが締め付けられると、嫌でも難しい言葉が頭の中に馴染んでくる。

小さな幸せは、少しずつ感情のかみ合わせが悪くなる居心地の悪い日常に潤いを与えてくれる大事な要素だった。いつものごとく、幸せは失いかけてはじめてわかるものだ。その証拠に、“半径5メートルの幸せ” とか “ご褒美消費” とか、「小さな幸せ」は言葉をマイナーチェンジしながら、生活の中で私たちの気持ちを確実に輝かせてきた。

だからこそ、ちんまりと広い皿の上に鎮座する残り1枚しかない牛タンを見つめていると、悔しくて叫びたくなってくる。「私のような小市民の四畳半サイズの幸せでさえ、どんどん狭くなるなんて!」と。

難しい経済用語はわからないけれど、景気や経済の風向きはいつも、吹いて飛ぶような暮らしをしている我々の肌感覚からも感じられる。気づいたら、私たちの幸せは随分、狭くなっているようだ。なんか悪いことしたっけ、ぼーっと生きてきたせいなんだっけ、そもそもそんなにぼーっと生きてきてしまったんだっけ。

半径5メートルの幸せは、いつの間にか半径3メートルの幸せになってしまっていた。

縮みゆく「幸せ」を否定するか愛でるか。私たちは岐路に立っている

小さな幸せは、小さな贅沢になる。私たちが「半径1メートルの幸せ」と口にする日も案外近いかもしれない。

しかし、私たちは案外慎ましく、そして逞しい。たとえ「半径50cmの幸せ」時代になっても、我々はそこに見出すことができるのではないだろうかと思う。どんな時も、幸福は心持ち次第、というやつだ。

だが、それで良いんだっけ、と思う自分もいる。これまで「幸せはどこにでも見つけられるよね」とお行儀よくしてきたけれど、本当はどこかで「小さな幸せなんかで満足できるかぁ! 生まれたからには人生一花咲かせるぜ!」とガツガツしとけばよかったのかもしれない、と小さな幸せが脅かされている今となっては思ってしまう。

1992年、バブル崩壊とともに生まれ、「不景気だ」とだらだらつぶやいている間に大人になってしまった。「失われた○○年」は永遠に延び続けて、失い続けているからむしろそれが日常だった。しかし、コロナ禍で部屋に閉じ込められ、ゆっくりと老いていく中でそれは「奪われた2年」に思えてきたのだ。失ったふりをしていたけれど、実は私たちは奪われたのではなかったか。

一方で、さまざまな国の動向を知れば知るほど、それでも日本はとびきり平和で、暮らしやすい国であることもわかってくる。おいしい外食も、丁寧なサービスも比較的安価で手に入る。裏を返せばそれは、私たちの労働力が安価だということでもあるのだけれど。それでも、こんなに安全に、清潔に、普通に働いて、普通に暮らすことができる国もそうそうない。

コロナ禍に行われた規制が緩和され、外に出られるようになったら経済の様相が大きく変わっていた。どちらにせよこれからは、これまでよりも目の前の機会を金銭的理由で見送ったり、難しいお金の知識に向き合わなければならなくなるだろう。貧乏学生を経験した私からすると、そういった煩わしさや悔しさが「貧しい」ということだ。

ジリジリと縮む「半径3メートル」の聖域を愛でることも、痛みに自覚的になりながら現状を否定するのも、強さだ。未来はどうなるかわからないが、確かなのは、自由に外出できた頃に存在していた「半径5メートル」は存在しないということだけである。

現状を憂うこともできれば、現状の中に幸福を見つけることもできる。否応なく増えるお金について頭をひねる時間を “何をするために使うか” 。人生の舵を十分切れるようになったオトナの私たちは、考える帰路に立たされている。

りょかち

1992年生まれ。京都府出身。神戸大学卒業。学生時代より、ライターとして各種ウェブメディアで執筆。「自撮ラー」を名乗り、話題に。現在では、若者やインターネット文化について幅広く執筆するほか、企業のコピーライティング制作なども行う。著書に『インカメ越しのネット世界』(幻冬舎)。朝日新聞、幻冬舎、宣伝会議(アドタイ)などで記事の連載も。

Twitter:https://twitter.com/ryokachii
note:https://note.com/ryokachii/

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