りょかちのお金のハナシ#14|今一度考えるべき、「奢る・奢られる」問題
エッセイスト・ライターとして活躍するりょかちさんが、“お金にまつわるエピソード”をお届けする本連載。今回は、SNSでも度々話題になる「奢る・奢られる」問題のハナシ。
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日本で今、一番難しいコミュニケーションは 「奢る・奢られる」 だ。
一番“可燃性” が高いコミュニケーションと言ってもいいかもしれない。というのも、私が今のアカウントでTwitterをはじめてからの10年間だけでも、幾度となくこのトピックで炎上が起こり、日本を暖めている。このトピックの炎上で、何度寒い冬に暖を取ったことか。もはや思い出せない。
しかし、「時間に対してものすごくケチ」な私からすると、食事を共にするというのは、貴重な「余暇(時間)」を賭けて、さらには「お金」まで賭けるという、複数の資産を投資すること。だから、センシティブになってもしょうがないのではないかとも少し思ったりする。
世の中には他にも “余暇×金銭的コスト” を賭す遊びはあるものの、推し活やキャバクラ、サウナといった、自分が一方的にサービスを受ける側になるものか、あるいは旅行とか映画とか、ある程度関係値のある人とお互いに金銭的コストを投資して楽しむ趣味がほとんどだ。食事のように、これから親しくなる人と、どちらかだけが金銭的負荷をかけて楽しむ遊びというのはなかなかない。
だから、食事を「奢る・奢られる」という行為はその中でもかなり異色。だからこそ、どちらかがサービスされている側のような気持ちになったり、あるいは何にお金を払っているのかわからなくなったり、かなり混乱しやすいのではなかろうか。
「奢る・奢られる」には、貴重な資産がかけられているのに、楽しみ方が独特で明確なルールがない。個人間の繊細なやり取りだからこそ、ややこしい。そして、それ故に繊細なコミュニケーションが求められてきたのだろう。
SNSで集めた「ムカついた」アレコレ
さて、結論にいっても良いのだけど、この記事を書くにあたって「奢り・奢られでムカついたこと」をInstagramで聞いてみたら、たくさん集まったので、結論を急ぐ前に私の愚痴を含めて、みんなが怒っていることを共有させてほしい。
大きく分けると、みんなは「奢って仕事をさせるやつ」「奢ることで審査員になるやつ」「奢られて当然だと思っているやつ」に怒っているらしい。
1つ目の「奢って仕事をさせるやつ」には2種類の人がいる。
まず1つは、「奢るから○○してよ」と仕事の依頼をする人。よくある話だと思うのだけれど、最初の理論から考えて、仕事を受けた人は報酬をもらうために時間を投資しなければならなくて損することになる。言ってしまえば、仕事をする時間とごはんを食べる時間の二重請求だ。
だからこそ、そもそもその人を大事に思っているとか、頼まれごとがそこまで負担でないという場合でなければ仕事を受けないだろう。つまり、連れて行ってもらえるのがものすごい高級店とか予約困難店でもない限り、「奢られるならやろうかな」というタスクはたぶん奢られなくてもやる。だから、そういう些細なタスクを人に頼む時に、報酬を食事代にするのは、信用をすり減らすだけなのでやめたほうが良いというのが、周りの人から愚痴を聞いた私の感想である。
もう1つは “仕事”ではないし、それを明言もしないのだけど、「お金を払っているんだから接待してよ」みたいな人。お金を払っているから、「ちやほやして欲しい」「失礼なこといっても大丈夫」……、って、それはそういうお店でやってくれ!!! 友人を従業員にしてはいけない!!
このタイプの人には、「そうなるなら、もう自分で払わせてください」と奢られる側も言いたくなるのではないだろうか。
そして2つ目の「奢ることで審査員になるやつ」。私もこういうタイプが大嫌い。世の中には「デートでタイプじゃなかったから奢るのをやめた」「合コンで期待値に合った女の子を集められなかったから奢らない」という人がいるらしい。いやいや、ここ、オーディション会場なんだったら最初から言ってくれや。
こういうタイプが嫌なのは、まず食事の後味を悪くするところ。そして、それによって奢られる側が「奢られないと可愛そうな自分になってしまう」という強迫観念を持ってしまうことだ。実際、「元カノは『奢られないと、自分を価値のない女のように感じる』タイプだった」という話を聞いた。私も、「奢られないと自己肯定感下がる」という友人を知っている。だから、ここはオーディション会場じゃないんだって!!! 奢るとか奢られないとか合格判定じゃないんだって!!!!!!!
こういう食事する相手の自尊心を傷つけることに何の躊躇もなく、楽しい食事の場を少額でオーディション会場にしてしまうチープな自称プロデューサー、私も許せない。
そして最後は奢られる側の態度だ。
奢る側になる人たちからは、「何も言わずに『彼と(お会計)一緒で』と言われた」「お会計時に当然のように『よろしく』みたいな人は嫌ですね」といった意見をもらった。SNSでの炎上もこのタイプが多い。
やっぱり普通に考えて、娯楽はほぼすべて、お互いにコストと時間をかけることに合意して共に時間を過ごすわけだから、コストを2倍払ってもらうなら感謝の心を持つべきなのだ。「奢られない=価値のない女」ではないけれど(そもそも価値提供という感覚が変だと私は思う)、価値提供と引き換えに奢ってもらいたいならば、その価値を購入するかどうかは事前に聞いておいてほしい。
「奢る・奢られる」 から考える、一緒に食事する人に持っていたい2つの心構え
というわけで、「奢る・奢られる」問題に関しては、日々あらゆるトラブルが起こっているんだなと、より一層実感してしまった。いつも私と健やかに食事を共にしてくれてるみんな、ありがとう。
さて、綺麗事だと思いつつも、こういった事例を見ていて私が「もう、お互いこの心構えでいようよ」と思うのは、「奢りに見返りを求めるな」「自腹で会いたくないなら行くな」という2つのことである。
そもそも、私も後輩に何か奢ってあげることもあるけれど(もちろん奢ってもらうこともあります! ありがとうございます!)、それは自分がそうしてもらってきたからだし、「いつもありがとう〜」とか「楽しかったね!」の気持ちを込めてやっているわけで、相手に何かを求めているわけじゃない。一緒に楽しい時間を過ごすために同じ場所に集まった純粋な関係なのに、そこに見返りを求めるからおかしくなる。
そして、奢られる側も、奢られないから怒るような会にはもう、最初から行かないほうがいい。時間は命の一部だから、簡単に賭してはいけない。自分が「この人とだったら、コストをかけても一緒に過ごしたい」「こういう体験になら、投資してみてもいいかも」と思うものを選んで、自分の時間を埋めていったほうが幸せになれる。
自分で言っていてまだまだエラーケースはあるような気がするけれど、私は誰かとおいしい食事の感動をシェアするのが大好きだから、それを取り巻く苦い感情が少しでも世の中で薄らぐように祈りたい。
よく考えよう!お金は大事だよ!(時間も大事だよ!)
昔そんな歌があった気がするけれど、お互いに大事な資産をシェアして過ごすのだからこそ、お互いにリスペクトを持って接したいものだ。
何にせよ、誰かを大事に思う気持ち以外で「奢ってあげよう」と思う時や、「奢ってもらうこと」に執着を感じ始める時には、その気持ちの取り扱いに気をつけなければならないことは間違いない。
りょかち
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