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1,000万円の赤字を黒字に転換。元ギャルの女将・榊萌美が挑む新しい和菓子の可能性

1,000万円の赤字を黒字に転換。元ギャルの女将・榊萌美が挑む新しい和菓子の可能性

埼玉県桶川市にある、1887年(明治20年)創業の和菓子老舗「五穀祭菓をかの」の6代目女将・榊萌美さん。ギャルだった20歳の時、両親が営む同店の継承を決心し、大学を退学。そこから試行錯誤して失敗を重ねながらも、コロナ禍の中、最大1,000万円の赤字を2年連続の黒字に転換。さらに、若い世代に馴染みの薄い和菓子の可能性を広げるため、新ブランド「萌え木」を立ち上げ、精力的に活動しています。知識ゼロからビジネスの世界に飛び込んだ榊さんの「失敗を恐れず、まずは挑戦する」というマインド、そして和菓子業界で新たな挑戦を推し進める姿勢には、この時代を生き抜くヒントがいっぱい詰まっていました。

「人のためになる仕事をしたい」。夢破れたギャルが選んだのは家業だった

――今日はよろしくお願いします。まずは、榊さんの現在のお仕事を教えてください。

榊萌美さん(以下、榊さん):今、「五穀祭菓をかの」は桶川市内に2店舗あり、従業員が20名以上います。基本、父が和菓子を作り、母は店頭に立ち、私は商品開発、宣伝、営業、経営戦略など、日々のお菓子を作ること以外を担っています。前までは毎日店頭に立っていましたが、今はお店をどうしていくのかという経営まわりの業務が多いですね。

埼玉県桶川市で100年以上続く「五穀祭菓をかの」

――榊さんは職人として和菓子を作るのではなく、企画や開発などを手がけているんですね。でもどうして、和菓子職人の道を選ばなかったんですか?

榊さん:職人の父に、「お前は職人にはならない方がいい」と強く言われたんです。いずれ職人の道をと思っていましたが、それだけは父が譲らなくて。でも今思うと、私は実際に手を動かして和菓子を作るのが得意なタイプでもないと思います。苦手なことを仕事にするのは、苦しいし大変。私がそういう壁にぶつかることを、父はすでに見据えていたんでしょうね。実際にお店に入ってからは、和菓子作りと経営を両立するのは難しいと感じることも多いので、今はそう助言してもらってよかったと思っています。

――職人も経営もやられていたお父さんだからこそのアドバイスだったんですね。そもそも、ギャルだった榊さんが家業の和菓子屋さんを継ぐことになったのはなぜですか?

榊さん:実は家業を継ぐまでの道のりは意外と長くて。幼い頃から人のためになる仕事がしたいと思っていたんですが、人の心に寄り添うことが好きだったこともあって、高校生になると心理カウンセラーを志すようになったんです。だけど、大学入試に必要だった数学が苦手過ぎて諦めました(苦笑)。それなら得意な国語の先生になろうと思って、大学で教育を学ぶことにしたんです。

でも、いざ大学に入学してみたら、勉強についていけなったり、周りの同級生と馬が合わなかったり、教育の現場に違和感があったりと、大きなギャップに直面してしまって……。「教師になる」のが夢じゃなくなってしまったんです。それからは学校も行かず、ギャル系のアパレルショップでアルバイトに明け暮れていました。

“埼玉の渋谷”こと大宮で遊んでいたギャル時代の榊さん

ギャルとして荒れ気味の生活を送っていたんですが、突如母が入院し、今後お店をどうするのかという話になって。それでも私は誰かが何とかすると思って、お店には関与しませんでした。そんな時、偶然会った小学校の頃の同級生のお母さんに「お店、継がないの? 小学校の卒業式でお店を継ぐのが夢だって言っていたのに」と声をかけられ、その卒業式のビデオを見返してみたんです。そうしたら小学生の自分が「お店を継ぎます」と本当に宣言していて。その姿があまりにもかっこよくて、誇れるような生活をしていない自分の胸に響いて、幼い頃の自分の言葉を信じてみようと、大学を退学して家業を継ごうと直感で決めました。

――大学を辞めて家業の和菓子屋さんを継ぐことに、プレッシャーや不安は感じなかったんですか?

榊さん:何も考えてなかったから、和菓子の世界に飛び込めたんだと思います。夢も大学も諦め続けた自分の状態が恥ずかし過ぎて、家業を継ぐプレッシャーや不安よりも、もうこれ以上自分をイヤになりたくないという気持ちの方が強かったと思います。

ただ、そもそも私の人生の目標は「人のためになる」ことなので、そのアウトプットは別に教師じゃなくてもいいと、その時に考えを変えられました。「をかの」を継いで従業員やお客さんの役に立てば、「人のためになる」という目標を達成できるかもしれない。私にとって大切なのは手段ではなく目的だと気がついて、失敗を怖がる前に和菓子の世界に身を置くことにしました。

明るくやわらかな口調で入社までの経緯を語ってくれる榊さん

入社半年でヒット商品を考案するも、退社を決意するほどの失敗と挫折を経験

――「をかの」は100年以上も続く老舗ということもあって、ご両親は榊さんの入社を喜んでくれたのでは?

榊さん:当時、お店は赤字だったので、両親は「無理して継がなくていい」という、うれしさより困惑の方が強かったですね。

――そうなんですね。榊さんは入社半年後に、現在のヒット商品「葛きゃんでぃ」を生み出しますよね。どうして新商品を作ろうと思ったんですか?

榊さん:当時のお店では夕方になると商品の割引をしていて、経営の知識はなかったけど、感覚的にこれは良くないと思っていました。現に安くすると、商品の価値が下がり、職人のやる気もなくなって味が落ちるし、定価で買う人もいなくなる。悪いスパイラルがずっと続いていたんです。だから夕方の値引きを辞めたんですけど、いきなり辞めたら辞めたでロスが増えてしまって……。

そこで、ロスにならないような商品を作ろうと考えて、すでに商品としてあった日持ちの短い葛ゼリーに着目しました。その時はお客さんにはあまり人気がなかったんですけど、私は昔から凍らして食べるのが好きだったんですよね。その思い出からヒントを得て、賞味期限にあまり左右されないアイスにして地元のお祭りで試しに出してみたら大好評で。アイスにすることで日持ちの問題を解消できるし、新感覚の食感と味わいでお客さんにも喜んでもらえる。そう思って商品化することにしたんです。

葛粉をベースにした「葛きゃんでぃ」。溶けにくく、シャリシャリ&ぷるぷるの食感が楽しい

――「葛きゃんでぃ」は、テレビ番組でも取り上げられるほどメディアにも注目されていましたよね。

榊さん:そうなんです。発売から1年後の2017年にSNSがきっかけで、『所さんお届けモノです」(TBS系)で取り上げていただいて。番組を見たお客さんから注文が殺到したのですが、ホームページの基盤が弱くてすぐサーバーが落ち、電話もパンクして全然注文を受けられなかったんです。初めてのことに上手く対応できず、せっかくのチャンスを生かせなくて、とても悔しかったですね。

その経験から自分でお店を変えないといけないと思い、経営塾で経営の勉強をはじめました。ところが「をかの」は事業計画を立てたことがなく、入社当時は両親に数字が見たいといっても、見せてくれませんでした。無理やり決算書を見せてもらったら、3年前に赤字1,000万円という数字が見つかって……。両親があまりにも普通にしているので、私も危機感を感じてなかったのですが、かなりショックというか衝撃でした。それから経営について真剣に考え始め、事業計画を自分で作り、家族で話し合い、未来のビジョンを考えるようになりました。

――1,000万円の赤字を打開するために、具体的にどんなことをされたんですか?

榊さん:まずは、ホームページのサーバーダウンという反省を生かして、ECサイトが作れる「BASE (ベイス)」でネットショップを開設しました。3日間だけの期間限定で売ったらSNSでつながっているフォロワーさんたちを中心に、ありがたいことに200件も注文をいただいたんです。その1カ月後、ラッキーなことに『所さんお届けモノです』の再放送が決まって。でも、ネットショップの運営方法が少しわかってきていたこともあって、ヤバいかなと思いつつもとくに何も準備をしなかったんですよね。そうしたら、放送中から24時間経たないで2,500件の注文が入ってしまって……。発送作業に慣れていないし、ミスやクレームの対応にも追われて、結局、その1日で入った2,500件の注文を送り切るのに3カ月かかりました。従業員みんなに負担をかけてしまい、これがきっかけで20年以上も働いてくれていた職人さんをはじめ、従業員が一気に3人も辞めてしまいました。自分がちゃんと準備をしていたらと、今でもずっと後悔しています。

――ううう、それはつらいですね。その苦難はどうやって乗り越えたのですか?

榊さん:正直、乗り越えられなかったです。SNSでは「絶対こいつの代で潰れる」「パクリじゃん」という言葉を見かけ、すごく疲れて気持ちが落ち込んでいきました。

さらにどん底に落ちる出来事があって。ある人から難しいビジネス用語を並べられて、「こんなのもわからないくせに経営できると思うなよ。お前なんか頭も悪くて何の取柄もない。今のうちに金持ちのオヤジでも見つけて、援助してもらえ。これでお父さんが疲れて死んだら、お前のせい。もし葬式でお前が泣いていても、お前が殺したと言う」と言われたんです。すごく腹が立って震えながら帰りましたが、店に着いたらもう涙が止まらなくて。

人のためになりたいと思って始めた仕事なのに、むしろ人を苦しめてしまっている。赤字を回復できたとはいえ、私が売り始めた商品のせいでこうなるなら、やらなきゃよかった。そんな後悔ばかりが頭をよぎって、もう「をかの」を辞めようと思いました。

――辞める決意をするほど追い詰められてしまったんですね。それからどう気持ちを切り替えたんですか?

榊さん:ほかの和菓子屋さんから、「テレビにをかのさんが出たおかげで、うちの商品も売れました」と連絡をいただいたんです。実は葛を使ったアイスは全国で400店舗ぐらいで販売されていて、コロナ禍での再放送で売上に影響があったみたいで。あと、コロナ禍で売上が落ちていたという葛問屋さんからも、「本当に恩人です」と感謝の言葉をいただきました。

この言葉で初めて誰かの役に立てたと感じ、今までのことは無駄じゃなかったんだと思えるようになって。でもよく考えたら、コロナ禍で売上が立つのはありがたいことですし、私たちの商品に興味を持って注文してくださるのは幸運なことだったんですよね。そう捉えられなかったのは、私の力不足だと思います。私が事前に計画を立て、会社に体力をつけられていればこうはならなかった。もうこの先は誰にも苦しい思いはさせたくないと思い、そこからもう一度本気で家業と向い合いはじめました。

絶望の淵に立たされた榊さんを救ったのは、和菓子に関わる人たちからの温かな言葉だった

経営者だって弱音を見せてもいい。素直さを武器に自分も会社も成長させたい

――失敗や挫折を経た今、お店を経営されるうえで、大切にされていることはありますか?

榊さん:経営者にとって大切なこととして、「人の意見に流されるのはよくない」「経営者は自分の意思決定を大事にすべき」ということがよく挙げられますが、私は人の意見をちゃんと聞き入れたいんです。これまでも人の意見を聞いて実行、ダメだったら軌道修正というのを繰り返せたからこそ、「をかの」の売上と商品をよくすることができたと思うんです。まだまだ道半ばですが、ここまで来られたのは決して自分一人だけの力ではなく、周りの方々のおかげ。だから、ちゃんと周りの意見や要望を聞きながらも、新しいことにチャレンジする自分でありたいと思っています。

――榊さんは、もともと人の意見を聞くタイプだったんですか?

榊さん:自分で言うのも恥ずかしいですが、すごく素直で言われたことはちゃんとやるタイプです。まずはやってみないと、わからないですからね。ただ、ちょっと怪しい人もくるので、そこはちゃんと嗅ぎ分けないといけないですが(笑)。

「私こう見えて、とても素直な性格なんですよ(笑)」と榊さん

――歳を重ね、経験を積むと素直さを忘れることも多いので、そこは榊さんの強みになりそうですね。そんな榊さんが従業員を束ねる立場として大事にしていることは?

榊さん:経営者には弱音を一切履かずに一人で突き進んでいくタイプの方もいますが、私は周りに相談し合いながら一緒に成長するタイプ。だから、年齢問わず自分の弱い部分も見せるし、等身大の自分で接するようにしています。「この人の力になりたい」と思ってもらえるよう、どんな立場になっても素直さを忘れずにいたいと思っています。

あと、自分よりいくら年が下でも、いくら仕事できない部分があったとしても、相手に何かしらのリスペクトを持つようにしています。もし仕事を覚えられなくて不器用だとしても、やさしい性格ならお客さんにきっと愛してもらえる。だから、どんな人でも働きやすく、才能を伸ばせるよう、会社の環境や制度を整えていきたいですね。

――仕事における思いの根本が、本当に人のためなんですね。

榊さん:そうですね。私はブランド物を買ったり、いい車に乗ったりすることにときめきを感じず、人のためになって「ありがとう」と言われることが、一番心がときめくので。ただのエゴなのかもしれませんけどね。

最近は、念願だった渋谷スクランブルスクエアでのポップアップ(3月24日~)が決まったりと、口に出した夢がポンポンと叶って。これも自分の力なんかではなくて、願いを言葉に出すことで、周りの人が手を差し伸べてくれるからだと思います。だから天狗にならず、人のために何かしらの方法でそれを還元していきたいと思っています。今の状態は自分の身の丈に合わないような幸せですし、今までの人生じゃ考えられないようなことが次々と起きていますが、このラッキーは神様がくれた人生の前払い。だから、私が成長することで誰かに還元していかなきゃいけない。そう思って最近、新ブランドを立ち上げました。

新ブランドの「萌え木」で和菓子の可能性を広げたい

今年立ち上げた新ブランドの「萌え木」で、榊さんは和菓子業界に新たな風を吹き入れていく

――それが新ブランドの「萌え木」なんですね。どんな思いを込めて立ち上げたんですか?

榊さん:萌え木とは、古い大木からから若い芽が出た状態のことです。和菓子業界は閉鎖的で、労働環境も悪いことも多く、次の世代が育っていない。洋菓子にはまだまだかなわないのが実情です。だから私は和菓子業界の「萌え木」として、和菓子の伝統や文化を受け継ぎつつも、新しい商品を作ってさらなる一歩を踏み出したい。もともと和菓子が好きな人も、あまり興味がない人も、思わず手に取りたくなるような新しい和菓子を届けたいと思っています。

――たしかに和菓子は、洋菓子に比べると素朴なイメージですよね。しかし、今回リリースした「萌え木」の商品「YOKAN -予感-」は華やかで、和菓子のイメージを一新させてくれますね。

榊さん:ありがとうございます。今回発表した「YOKAN -予感-」は、羊羹に抹茶やイチゴ、ゆずなどのフレーバーを合わせた一口サイズの和菓子です。仕事やプライベートに疲れた時に、クッキーのように手軽に楽しめる、これまでにないようなかわいい和菓子で一息ついていただきたいと思って作りました。

「YOKAN -予感-」(9個入り)2,400円。「萌え木」のオンラインサイトなどで購入可能

――商品を開発する時は、どんなことを思い浮かべるんですか?

榊さん:お客さんが和菓子を楽しむ時のストーリーを思い浮かべています。昔、売れるものを作ろうと何個か試作を作りましたが、1個もピンとくるものがなくて。そこで今一度お菓子の存在意義を見直してみたら、お菓子ってなくても困らないけど、あったら日常に幸せや喜びを添えてくれるものだと改めて感じたんです。だから商品を作る時、売れるかどうかじゃなくて、お客さんが楽しめるのか、喜べるのかという視点を持つことを大切にしています。

――榊さんは「をかの」の経営を立て直し、新ブランドも立ち上げられましたが、今後の展開として考えていることはありますか?

榊さん:「萌え木」の商品がもし人気になったら、いずれレシピを公開したいと考えています。このレシピをもとに日本各地の和菓子屋さんがお菓子を作ってくれたら、欲しい人が地元でも買えるようになって、もしかしたらほかの和菓子にも興味を持っていただけるかもしれない。ちょっとずつでも和菓子に触れる機会を増やし、和菓子の間口を広げていけたらいいなと思います。

――最後に、榊さんにとって仕事はどんな存在ですか?

榊さん:自分の夢を叶えるものです。かつて抱いた心理カウンセラーや教師の夢は叶いませんでしたが、「人のためになりたい」という目標は、仕事という手段を使って叶えられると信じています。これまでにもいろいろな失敗や挫折がありましたが、和菓子を介して誰かを笑顔にできるなら幸せですね。

榊さんの直近の夢は、各分野で活躍する女性に密着するドキュメントバラエティ『セブンルール』(カンテレ・フジテレビ系)に出演すること。お店のバックルームにその目標を掲げた紙が貼られている

榊萌美(さかき もえみ)

埼玉県桶川市にある、創業135年の和菓子老舗「五穀祭菓をかの」の6代目女将。溶けないアイス「葛きゃんでぃ」をきっかけに、赤字だった会社をV字回復させた。2022年、和菓子新ブランド「萌え木」をスタート。3月24日(木)〜30日(水)に渋谷スクランブルスクエア1階で、ポップアップを開催予定。

Twitter:@moemi_nu
五穀祭菓をかの:https://wokano.official.ec
萌え木:https://moegi-wagashi.com

撮影/武石早代 
取材・文/高山美穂

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1,000万円の赤字を黒字に転換。元ギャルの女将・榊萌美が挑む新しい和菓子の可能性

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