入社わずか2年目で取締役に。株式会社デジタリフト・鹿熊亮甫の急成長の背景にある「大学生時代の挫折」
株式会社デジタリフトに勤める鹿熊さんは、学生時代から創業間もないデジタリフトの事業に携わり、大学卒業後にそのまま入社。1年後にはマネージャー、そして2年後には弱冠25歳で取締役に就任します。
順風満帆に見える鹿熊さんのキャリアですが、その原点には、学生時代の「挫折」があったそう。ITベンチャーに身を置くことを決めたストーリー、今後目指す姿について伺いました。
「できないことをできるようにしたい」が行動原理
—— 鹿熊さんは、大学生の頃から複数のIT企業で新規事業に携わっていたそうですね。具体的にどのようなことをやられていたのでしょうか。
鹿熊 亮甫さん(以下、鹿熊さん):主にやっていたのはメディア関係の仕事です。ライティングやディレクションのほか、当時勉強していた英語を活かして、海外向けのメディアを作るという、新規事業にも携わってきました。あとは、別でアプリやWebサイトの開発会社を立ち上げて、ディレクターとして案件も回していましたね。当時は学生だったっていうのもあって、恐いもの知らずで、“打席に立つ数”は相当多かったと思います。
——その原動力みたいなものはどこから来ていたんですか。
鹿熊さん:周りに起業家が多かったので、環境による影響は大きかったなと思います。逆に大学の人たちとはあまり波長が合わず、実質2年間くらいしか通ってなかったような気がします(笑)。あとは私の性格で、昔から「負けず嫌い」というのと、「できないことをできるようにしたい」という思いが人一倍強くて。たとえば、全然泳げなかったけど、泳げるようになりたいから水泳部に入ってみたり、英語が話せないから海外に留学してみたり。それはフィールドを変えても一緒で、未知の仕事に対して、どう進めていくかを考えるのが楽しかったんです。
——その後、就職活動はどのように動いていたのでしょうか。
鹿熊さん:外資コンサルや、投資銀行を受けていたんですけど、東大とかレベルの高い人たちが多く、「ここでは勝てない」と思い、自分が今後勝てる可能性がある「起業」への道を考えていました。ただそんな中で、インターン先で電子広告社、いまのデジタリフトの代表である百本と出会い、事業を手伝うことになったんです。そこでデジタルマーケティングの奥深さ、面白さみたいなものを知って、「これを極めていきたいな」と。後にお誘いをいただいて新卒入社することに決めました。
——それにしても、入社2年目の25歳で取締役に就任されたんですよね?そのスピード感はすごいなと。
鹿熊さん:過去に大きな案件のディレクションをしたことがあるという、いわゆる「経験」を社会人になる前から、積んでいたのがアドバンテージでした。取締役就任時には5~10人をマネジメントすることになったんですが、過去にもマネジメントも含めて、担当したことがあったので、不安はそこまでなかったですね。
開発途中に案件頓挫 2000万円の負債を抱えそうになる
——インターンの世界から本格的に会社で働くようになり、新たに気づいたことはありますか?
鹿熊さん:「大きなお金が動くというダイナミズム」と、「組織やチームで動くことの楽しさ」ですかね。開発会社を運営していたときは、少ない人数でいかに利益あげられるかというのが勝負どころだったんですけど、デジタリフトではより多くの人数でチームとして動くのが基本です。利益目線で取り組んでいけば、1億が3億に、3億が5億にと、自分の受け持つ金額がどんどん大きくなって、それに伴い部下もどんどん増えていくわけです。広告業界って動くお金の額がものすごく大きいので、20代の入りたてでそんな仕事ができるのはとても光栄でしたし、大学生時代に開発案件で2000万円の負債を抱えそうになり、悩んでいた自分が小さく思えましたよ。
ーーえ!そんなことがあったんですか。
鹿熊さん:開発会社を運営していたとき、誰もが知るような大きなサイトを作るという案件が来たんです。ただ、若いエンジニアばかりというのもあって、プレッシャーに勝てなかったんですよ。相次いでエンジニアが飛んでしまい、結果どうにも回らなくなってしまったんですよね。学生にとってはとんでもない額で、僕も相当メンタルが追い込まれました。人生を振り返って、これ以上の苦しい体験はなかったと思います。とはいえ、結果負債は抱えずになんとかなりました。
——だからこそ、現在のポジションを長い間担うことができているというのがあるんですね。
鹿熊さん:何事も昔の体験との対比が生まれていて、「大学生の頃にあんな経験をしてきたから大丈夫だ」となるので、大抵の仕事はなんてことありません。よく「順調な社会人生活を送ってるね」と言われますが、結局、周囲に比べて早いタイミングで失敗をしてきたことが大きいんですよね。さらに言えば、挽回するためにがむしゃらに仕事をして、周囲より先にスタートラインを切っているわけですから。
——成長のため大きなことに取り組んだことでピンチに、今やそれがチャンスに。人生何が起こるかわからないですね……。
鹿熊さん:ホリエモン(堀江貴文)さんが言っている「桃太郎理論」の話が結構好きで。桃太郎って、川に巨大な桃が流れてきておばあさんが拾うじゃないですか。だけど実は、川上には他の人たちも洗濯をしに来ていたはず。ただ、その人たちは巨大な桃に対しては「危険なもの」と思い込んでチャンスを逃していたかもしれない。失敗するかもわからないけど、興味を持った先に進むことは、長いスパンで見れば大事なことなんだなと思っています。
マーケターこそ「経営者」の目線を持つべき
——取締役の傍ら、現役マーケターとしても働かれていますが、そちらのキャリアパスもお聞かせください。
鹿熊さん:最初のうちは、自分が「マーケター」として名乗れるほどの自信がなかったですね。特定領域を知ってはいるものの、まだまだ知識も乏しく、社長の手助けがあって成り立っていることも多かったので。自覚してきたのは2019年ごろからで、サービスとして提供できるものが広がっていくにつれ、自分の知識ポートフォリオも増えていったので、ようやく名乗っても良いかなと思えるようになりました。
——マーケターという職種の面白いところは何だとお考えですか?
鹿熊さん:組織の実務実行や採用、経営への意識を持ちつつ、施策との連携を取るのがマーケターの仕事です。さまざまなアイデアが出ても、それを実現するにはお金もリソースもかかるので、経営の観点から繋ぎ合わせていかなければいけません。なかなか難易度が高いことですが、だからこそ面白味があると僕は思っています。
ーー経営者のように一貫した知識があることが大事なんですね。
鹿熊さん:おっしゃるとおりで、「マーケターは売り上げ/利益を作ることだ」と言われることがあります。利益を上げることができる構造を考えることは、経営者に近い目線を持たないとできません。施策に対して、現在の経営状態、キャッシュフロー状態を見て判断したり……。マーケターのトップが「CMO(Chief Marketing Officer)」として、経営層に属しているのも、そういう観点からだと思います。
仕事は趣味。もっとシームレスにしていきたい
——デジタルマーケティングではAIの活躍も期待されており、今後さまざまな工程がオート化されると考えられます。人の手が必要とされなくなる中で、マーケターはどういうポジションで仕事を進めていくべきだとお考えですか?
鹿熊さん:弊社のように広告運用を行う会社は、自動化されることで違う工程に時間を割けるようになるメリットがあると思います。システムはもちろん、LPでどう伝えていくべきか、より情報が正しく伝わるようにするためのコンサルティングは必要だし、それを実現するクリエイティブも必要になる。そのクリエイティブもやがて自動化されると言われていますが、その先には「商品設計」や「物流の最適化」という工程が待っています。より消費者の体験に関わる工程に、時間と人的リソースが割けるようになることは、我々としてもありがたい話ですね。
——AIと人の最適な役割分担がマーケターの今後の真価になりそうですね。鹿熊さんが見据える今後のキャリア展望を教えて下さい。
鹿熊さん:「自由に動ける環境」を維持したいですね。マーケターという役割の可能性を広げるには、現場に赴き、自分で見聞きして、可能性を拡張していかなければいけません。なので、ある程度は現場に介入できるポジションが理想的です。学生の時に考えていた、「社長になりたい」という考えは、現在はないですね。
——こうやって話す姿を見ていると、過去の失敗にとらわれず、いきいきと仕事を楽しんでいるように思えます。
鹿熊さん:楽しいですね。さきほども言ったように、未知なるものを知ること、できないことをできるようにすることが好きなので。あと、僕は仕事を趣味のようにとらえているので、楽しく感じることができているんだと思います。最近では、東京近郊のホテルを泊まり回ることを趣味にするくらい、ホテルが好きなので、どうにか仕事に繋げられないかと考えてもいます(笑)。今後も仕事を大いに楽しんで、さまざまな事業を切り拓いていけたらと思っています。
鹿熊 亮甫(かくま・りょうすけ)
撮影/酒井恭伸
取材・文/ヒガシダシュンスケ
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