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「後世にいい形でつなぐ“中継ぎ投手”に」アップガレージグループ新社長・河野映彦、野村證券時代から大切にしてきた仕事観

「後世にいい形でつなぐ“中継ぎ投手”に」アップガレージグループ新社長・河野映彦、野村證券時代から大切にしてきた仕事観

中古カー用品を取り扱うアップガレージを運営するクルーバーが、4月1日付で社名を「アップガレージグループ」に変更し、これまで副社長だった河野映彦氏が社長(最高執行責任者)に就任しました。1999年のアップガレージ創立以来、約25年ぶりの社長人事の実施となります。

新たに社長に就任した河野さんは、新卒からこの会社にいたわけでも、車に関する業界にいたわけでもない、いわゆる「異業種」からの転職組。そこから着実に頭角を表してきました。地力の裏にあるのは、全国制覇に狙い定めていた大学アメフト時代なのか、“ハードワーク”で知られる野村證券時代なのか、はたまたアップガレージ入社後に待っていた山あり谷ありの経験からなのか……河野さんのこれまでから、その仕事観を探っていきます。

社会人よりキツかったアメフト部

ーーまず、学生時代のことからお聞きしたいんですが、強豪の明治大学アメフト部で主将を務められていたそうですよね。

河野映彦さん(以下、河野さん):はい。本気で日本一を目指していたので、来る日も来る日も練習の毎日でしたね。週1回、月曜しか休みがなくて、それ以外は練習、ミーティング、筋トレのルーティン。4年生で主将になったときは、ユニフォームを着られるメンバーが限られるので、同級生に脱いでもらうよう伝える、いわゆる「リストラ」する立場も担っていました。それがまた勝利へのプレッシャーにもなって。そうやって、肉体的にも、精神的にも辛い経験を学生時代からしてきたので、新卒で入った野村證券は、言われているほどハードだなと感じなかったです。

全国優勝を目指すアメフト部だけあり相当ハード

ーー元野村證券の方がYouTubeとかでキツいというエピソードを発信していたので、誰でもそうなのかなという印象を持っていました。

河野さん:なにせ社会人は週2日休みだし、働いた分はお金がもらえるじゃないですか(笑)。辛いことがあっても、「仕事がつらいのは当たり前だ」という思いもあったから、体にガタがくることもなかったです。それに、僕が入社した2005年当時は、IPOなどが非常に活況だったっていうのもあって、「お客様が買っていただければ儲かる」っていう状況だったんですよね。だから仕事内容も苦にならなかったといいますか。ただその後、リーマンショックなどが起こったときは、お客様に自分がすすめたもので大損させてるっていう精神的な辛さがありました。

ーーそんな野村證券を受けたのは、「業界1位の会社」にこだわっていたからなんですよね。

河野さん:ええ。アメフト部の最後で、ライバルの大学に負けてしまい、日本一になることができなかったんです。だからこそ、「業界1位」の環境で成長していくんだという思いがありました。人にも恵まれて、最終的に野村證券には8年ほど在籍しましたね。ずっと営業畑で、若手経営者との取引が多かったです。

ーースポーツで全国優勝を目指し、業界1位の企業に興味を持っていた河野さんにとって、同世代の経営者との交流に刺激を受けた部分はあるんじゃないですか?

河野さん:そうですね。もともと会社を経営することに興味はあって、それが社会人5年目ぐらいから一気に大きくなっていった感じでした。クライアントのオフィスに行くたびに立地や規模が変わっていくのを見て、「俺も頑張っているはずなのにこの違いはなんなんだろう」と悔しさが出てきて。野村證券にずっといて、役員を目指すっていうことも考えましたが、それにはあと10年以上はかかる。だったら、ベンチャー企業で経験を積み、そこから登っていければと思ったんです。

ーーその後、クルーバーへ転職するに至ったわけですね。

河野さん:最初から絞っていたわけではなく、お付き合いのあった上場企業の創業オーナーに自ら売り込みに行きました。最終的に、快く受け入れを表明してくださった4社の中から、中古カー&バイク用品チェーン大手のクルーバーを選んだんです。理由として、日本の労働人口の10人に1人が自動車業界で働いていると言われているのに、僕の友人には1人もいない。現会長の石田の話を聞くと、若い人たちがおらず、特にパーツを扱ってる業界は、ITの導入が非常に遅れていると。こんなに巨大なマーケットにテコ入れしないわけには行かないと思ったんです。

クルーバーホールディングス ロゴ

今でも忘れもしない最大のトラブル

ーー入社当初は河野さんはIT企業での経験はなかったわけですよね。

河野さん:最初はうまくいかなかったですね。自分に経験がなかったっていうのもあるし、スピード感を持って進めなきゃいけないところで、それができなかったこともありました。それでも、ECサイト「Croooober(クルーバー)」を立ち上げて、およそ2年ぐらいで黒字化できまして、株式会社ZERO TO ONEをスピンオフさせていただきました。

ーーそこで目標にしていた経営者になったと。さらに一定期間で黒字化した秘訣はなんだったのでしょうか?

河野さん:クルマやバイク好きの方は、やっぱり熱量がすごくて、付加価値を提供できれば、リピーターになってくれるんですよね。ただ、ZERO TO ONE時代、過去一番の失敗をしてしまいまして、アップガレージ全店の在庫管理システムをリプレースする作業を会社で担当していたんですが、「作動しない」というトラブルに見舞われたんです。店員さんがレジでバーコードを読んでも、ドロワーが開かないわけです。

ハードシングスすぎる当時の状況を説明

ーー当事者だったら血の気が引いてしまいそうです……。

河野さん:トップとして納期を短縮したい気持ちもあって、GOサインを安易な考えで出してしまった。それにより、多方面の人に迷惑をかけてしまったんです。「リリースは1ヶ月遅らせましょう」などと判断できていれば、そんなこともなかったと思うんですが……。本当はダメなんですが、結局エンジニアの人たちが、会社に泊まりこみで頑張ってくれて、それでも正常な状態に戻るまでには、約2ヶ月半ぐらいかかりました。同じ過ちを繰り返さないように、その失敗を今でも胸に刻んでいます。

ーー月並みな質問で恐縮ですが、経営者になられて何が一番変わりましたか?

河野さん:サラリーマンのときと決定的に違うのは「責任の大きさ」サラリーマン時代なら自分が転勤になったりとか、部下が転職するとなったら、「しょうがない。」ってなりますけど、今だと自分が採用して、働いてもらって、成長してもらうっていうことをしなきゃいけません。ひとりの人生を長いスパンで支えるわけですから、責任を感じますよね。もちろん、その人にとってのステージアップやキャリアアップになる転職をするんだったら全然OKですが。

JFA(一般社団法人日本フランチャイズチェーン協会)正会員を示す盾

好きな事より信じ合える人」と仕事する

ーーこれは河野さんに限ったことではないと思うんですが、キャリアを聞いていると「好きなことを仕事にする」とはまた別の軸で仕事をされているのかなと感じます。

河野さん:僕自身、これまでやりたいこととか売りたいものって特になくて、それよりも「誰とやるか」が大事。信頼されて、そして信用できる人と交わることで、力を発揮していくことが重要だと思っています。そういった意味では、創業者の石田と出会えたことが、自分の人生においてすごく大きなことで、ビジネスの進め方、規模感、そういったものが魅力的に映ったんですよね。

ーーその石田さんからバトンを受け継ぎ、4月1日より「アップガレージグループ」のCOOに就任されましたが、どんな事を手がけていくんですか。
河野さん:就任する前から業務をいろいろとしているんですが、今後はひとまず組織を拡大していかなければという思いです。これから国内人口は減っていきますが、我々が扱っているマーケットはやはり大きい。優秀な人材を採って、その優秀な人が、多種多様なことをできるようになれば、間違いなく勝ち上がっていける。もちろんお客様に喜んでいただくとか、お客様のために汗をかくことは、大切な文化として残していくべきです。ただ、売るものやその売り方だったりとかは、若い人たちの柔軟なアイデアに任せていきたい。気持ち的には、私は「中継ぎ投手」として、次の才気あふれる社長に一番いい形でお渡しできればいいなと思ってるんです。

「僕より優秀な人に会いたいですね」と語る河野さん

大先輩・米倉誠一郎氏に言われた「納得」の言葉

ーーということは、河野さん自身、その先のキャリアパスも考えられているんですね。

河野さん:もちろん、社長というチャンスをいただいているので、会社の市場価値を高めていくことが最優先です。それが実現できれば、自分自身の価値も引き上げられているはず。今、高校のアメフト部の先輩でもある米倉誠一郎さんっていう、楽天の三木谷さんのメンターをしていた方に学んでいまして。その方、まあ口が悪いんですが(笑)、「もっと会社を儲かるようにしたいだろうけどさ、社会課題を解決する事業をしなきゃ儲かんねえよ。ユニクロを見てみろ。いろんな人に安くて良い服を提供してるから、あんだけ儲かってんだよ。お前の会社はまだ社会課題を解決してないからダメなんだよ」と言われて。僕らも、リユース事業をしているし、車に乗る人なら絶対に必要なタイヤ交換も行っていて、社会課題を解決してると思っていたのに、まだ100億円規模ってことは、そこに本気でフォーカスできていないのかなと、納得した部分があったんですよ。

ーー先ほども仰っていましたけど、マーケットが大きくて改善の余地がある業界だからこそ、今後変革が起きたときのインパクトも大きいでしょうね。

河野さん:この会社の目の前にもバイパスがあって、毎日何台もの車が走ってるじゃないですか。その中から、アップガレージを利用するのはまだ100台中2台ぐらいだと思っていて。ただ、その2台の人は愛車をいろいろカスタムしたいという思いがあって、さらにうちが「いいものを安く買える」とわかっている人たち。この母数を、ひとりでも増やしていけるように頑張っていきたいですね。

河野映彦(こうの・てるひこ)

株式会社アップガレージグループ 代表取締役社長COO
1981年、東京都生まれ。2005年4月に野村證券へ入社し、リテール営業を担当。8年間勤めた後、上場企業創業オーナーより経営を学ぶためアップガレージ入社。2015年4月に同社からスピンアウトする形で、株式会社ZERO TO ONEを設立。在庫管理システムを運用しながら、「croooober」を世界120ヵ国展開まで成長させる。その後2018年4月にアップガレージ代表取締役社長へ就任。2022年に親会社株式会社クルーバー(東証スタンダード:7134)取締役副社長就任後、今年4月に現職。明治大学時代には強豪アメフト部主将を務める。

撮影/武石早代
取材・文/ヒガシダシュンスケ 

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