「何にお金を払っているか」。その意識が豊かさを実感させてくれる|りょかちのお金のハナシ#21
文筆家として活躍するりょかちさんが、“お金にまつわるエピソード”をお届けする本連載。今回は、お金の使い方やこだわりの先にある“豊かさ”のハナシ。
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私は常に頭の中にいくつか「みんなの意見を聞きながら考えたい」トピックがあって、誰かと飲みに行くと唐突にその話を持ち出し、問い詰めて、質問を繰り返してしまう。よく飲みに行く人にとっては、迷惑な話だ。
去年の冬から今年の春にかけて、そのトピックは「人はどうして、高いお金を払ってブランド品を買うのだろう?」「ブランド品とそうでないものの価格の差分は一体何?」ということだった。
きっかけは、とある飲み会で、友人が有名ブランドの代表的デザインをほどこしたバッグを持っていたので、「そのバッグ可愛いね〜! ◯◯(ブランド名)だよね」と声をかけたところ、「ありがとう。でもこれニセモノやで! デザインが好きやから買ってん! ホンモノはさすがに買えへんわ〜!」とあっけらかんとした回答が返ってきたことだった。
その時、とっさに思い出したのは上京してすぐの記憶だ。24歳くらいの頃、お姉さま方とごはんを食べていたら、ファッションの話の中である人が、「私ね、一応ハイブランドのデザインはチェックしてるの。安いブランドってハイブランドのパクリデザイン多いじゃない? 知らずにつけてたら恥ずかしいもん〜!」と笑ったのだ。後で気づいたのだが、その時私はBがつくハイブランドのパクリデザインのネックレスを(パクリデザインとは知らずに)つけていた。
それ以来、心のどこかで「ホンモノじゃないものを堂々とつけるのは恥ずかしいことだ」「ニセモノを身に着けたら誰かに『恥ずかしい』と笑われているに違いない」という気持ちがこびりついていた。しかし、そのカピカピにかたまった意識は、友人のあっけらかんとした笑い声であっという間に拭い去られてしまった。
言われてみれば、最近のハイブランドのアイテムは、円安の影響もありどんどん値上げされて、一般人の手には届かないくらいに価格高騰している。そしてそれに呼応するように、ファストブランドだけでなくあらゆるブランドが、ハイブランドに酷似したデザインの商品を平気で売り出すようになっており、購入者のリテラシーはより一層試される傾向になっているように見える。
そしてだからこそ、今あらためて「なんでわざわざホンモノを?」を考えたくなったのだ。
ホンモノは「買えるわけない!」と言っていいほど値上がりしていて、悲しい気持ちをすくいとるようにこれだけ類似商品も堂々と売られていて(もちろん、デザイナーにとってはたまったもんじゃないのだろうけど)、ニセモノをつけることが悪いことじゃなく、ダサくもなく、あれほど堂々と笑って言えることならば、じゃあ私は、どうしてわざわざ高いお金を払ってホンモノのブランド品を買っているのだろう?
私がハイブランドアイテムを身につける理由
私は以前もこの連載で、「ハイブランド品を買うこと」についての文章を書いたことがある。
「あなた、実績よりも小さい人間に見える。自分が信頼に足る人物なんだったら、それをアピールしたほうが良いよ。例えばブランド品を身につけるとか」
りょかちのお金のハナシ#11「高いものを身につけるのにもワケがある」
私はフリーランスの先輩にこんな風に言われ、「良いものを身に着けている」ことが、仕事上においては信頼を勝ち取る手段になり得ることを理解するようになった。
それが、ハイブランドアイテムを身に着け始めるようになった理由であり、きっかけだ。
加えて、こんな反応も耳にしたことも、その時の記事に書いた。
とある人が「身につけるものはコミュニケーション」という話をしていた。TPOという言葉があるけれど、オシャレコミュニケーション上級者はさらに細かいコミュニケーションをそのビジュアルでやりとりしているようだ
その話を聞いて、冒頭の “パクリデザイン恥ずかしいお姉さん” のようなコミュニケーション上級者と対話ができるようになりたい気持ちも生まれたのだろう。「おしゃれな人にわかって欲しい」という思いを胸に、仕事アイテム以外でも、そのブランドのバックグラウンドを調べながら、ハイブランドアイテムを身につけるようになった。
今では、仕事で信頼を勝ち取るためだけではなく、自分の楽しみとして、ハイブランドアイテムをお金をためて買うようになっている。
ハイブランドアイテムを買う理由はまだまだ思い当たる。日々ハイブランドの類似商品を目にするようになったからこそ、クリエイターの端くれとして、きちんとオリジナルを作っているクリエイターにお金を払いたくなったのだ。
ちなみに、とあるおしゃれな友人に「『ニセモノを身に着けても良くない?』って言いたくなる時代だよね」と話したら、「そうね。デザインが好きでそのアイテムを身に着けてるならいいけど、『あのブランドのアイテムが欲しいけど買えないし、ニセモノでいいや』と思って身につけてるなら、ダサいと思う」という回答が返ってきた。私が一番腑に落ちた回答だ。
「好きなデザイン」にお金を払ったなら「いいじゃん、似合ってる」と言えるけれど、「安いニセモノ」にお金を払ったなら、褒め言葉に困る。
しかし、それすら「別に安いニセモノとして買ってもいいじゃない」という人もいるだろう。全ては個人の価値観だ。正しい答えなんて、あるようで、ない。
こうして考えてみると、結局高いお金を払ってハイブランドを身につけることは、どれもほとんど “ジコマン(自己満足)” だと言うことがわかる。まあ、お金の使い方なんて、すべて自己満足のため以外の何者でもないと言って良い気もするけれど。
高いものを買う時、人は何かを「大事にしたい」気持ちを抱えている
数カ月ずっと考えていた「どうしてわざわざハイブランドアイテムを買うのか?」について、あらかたいろんな意見を聞いた春の終わりに、私は実家に帰省した。
朝ごはんにはわたしの大好物が並んでいて、それをハイスピードで平らげていると、母が「あんたが実家に帰ってくるから、いつもよりええ食材こうてんで」と言った。
母にとっては、「私に美味しいものを食べさせたい」という気持ちが、高いものを買う理由のようだ。
ファッションが好きな人と対話したい。仕事相手に信頼されたい。クリエイターに還元したい。ブランドへの共感を行動に変えたい。生活の中で大事にしているものを丁寧に扱いたい。大事な人を喜ばせたい。
どんな高級品を買う理由も、結局は「自己満足」だ。別にそこにルールはないし、どんな理由で買ったとしても商品の内容は変わったりしない。購入する度にその理由を問いただされるわけでもない。
それでも、お金の使い方のこだわりの先には、誰かへの体温がこもった思いがある。何かを「大事にしたい」という切実な気持ちがある。
だからこそ、お金の使い方には思想やセンスが宿り、誰にも干渉できない尊さがあるのではないか。「お金をかけてでも、生活に取り入れたい」というこだわりを深ぼってみれば、そこには確かに自分が大事にしたい「生活の豊かさ」があるのではないかと思う。
少なくとも、母が私を思って晩ごはんを準備する営みには、背筋が伸びるような豊かさがある。「明日は何が食べたい?」と私に聞く母の顔を見ながら、そんなことを思った。
最後のひと口、母の料理を口に運ぶ。
舌の上に広がる上品な塩味を噛みしめると、柔らかい温かさが、口の中と体の中を満たしていった。
りょかち
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