「日本の次の働き方を創る」転職サイト「doda」立ち上げにも関わったサーキュレーション社長・福田悠の大いなる野望
「働き方の多様化」や「副業解禁」が叫ばれて久しい日本において、いまや「フリーランス」という選択肢は珍しいものではなくなりました。2020年のフリーランス実態調査結果(内閣官房調べ)によると、日本の労働人口の1割弱、462万人が組織に属さない働き方を選んでいます。
そんなフリーランスの「貴重なスキル」に目を付け、企業にシェアするビジネスモデルを早々に展開していたのが株式会社サーキュレーションです。現在、2万人以上のプロ人材が登録し、1万4千件近くのプロジェクトを創出してきましたが、どういう経緯でこの事業は誕生したのでしょうか。それには代表取締役社長・福田悠氏のビジネスキャリアが関係していました。
社会人1年目から「ビッグプロジェクト」に配属
ーーまず、福田さんが社会人生活をはじめる前のことからお聞きしてもよろしいでしょうか。
福田悠さん(以下、福田さん):私は、中央大学の理工学部の「経営システム工学科」という、ちょっと特殊な学科にいたんです。理系人材は、研究者、エンジニアとか専門職に進む人が多いけど、経営目線を持った人も育てていかなきゃいけないよねっていう思想でして。6割ぐらいは理系で就職するんですけど、その他の4割は文系就職していて、自分も、プログラミングとか研究を突き詰めていきたいとは思えなかったので、後者にしました。
ーーその後どういった会社を志望したんですか?
福田さん:就職活動では漠然と「圧倒的に成長できる環境に身を置きたい」っていう思いがあり、当時でいうと楽天、ソフトバンク、サイバーエージェントなど、ITベンチャーの人気企業などを受けていました。そんな中で、自分の肌感覚と企業の成長性を鑑みて、新卒で入った会社が旧インテリジェンス(現パーソルキャリア)という人材会社でした。
ーーインテリジェンスではどんな仕事に携わっていたんでしょうか。
福田さん:大きく2つになるんですが、まずは「doda(デューダ)」転職サイトの立ち上げです。もともとは学生援護会という会社が転職情報誌として発行していたんですが、インテリジェンスと合併するにあたり、リブランディングして、転職サイトに変更することになりました。私には同期が300人ぐらいいたのですが、大半はメインでもある人材紹介や、派遣関連の部署に配属され、私を含め20名程度が「doda」の立ち上げ部隊でした。会社の中でも大きなプロジェクトで、社内からエース級の人たちが各事業部から呼ばれていて、当時の事業責任者が後にパーソルキャリアの社長になる峯尾さん。そんな中に、キャリア1年目の自分が放り込まれたわけですから、大変でした(笑)。
ーーじゃあかなりハードな毎日を……。
福田さん:朝6時に会社に行って、自分が電話するリストを8〜9時まで作って、実際に電話をしてアポが取れたらお客さんの元に訪問して……みたいなセールスを終電までやって帰る。それが1年間、毎日続いていましたね。不条理なこともありましたが、今振り返ると、それが社会人のベースになってるのかなと思います。「量をちゃんとこなすことの大切さ」を学んだというか。結局「doda」には4年近く在籍していました。
営業先から「フリーランスをしている人たちは信用できない」
ーーもう一つはどのようなことをされていたんでしょうか。
福田さん:今は別の名前に変わってしまったんですが、中小企業向けに、大手企業を定年退職した元役員、上級役職者を経営顧問として業務委託で紹介する経営顧問サービスの立ち上げに関わっていました。このサービスでは、“シニアの人たちに新しい働き方をしてもらう”というテーマがあったのですが、やっていく内に「それだけでは日本の生産性と労働力は停滞したままだ」という煮えきらない思いが湧いてきました。
ーーこのビジネスモデルは、サーキュレーションで行われているものと近しい感じがしますね。
福田さん:おっしゃる通りです。シニア層だけではなく、2〜30代の優秀なフリーランス人材にも、もっと自由な働き方をしてほしいという思いと、企業ももっと自由に必要な人材と出会えるようになってほしいという思いが、サーキュレーション設立に結びついています。その後、2014年に会社が誕生したんですが、最初の1〜2年は、フリーランスの市民権もまだない頃で、弊社が提唱する「プロシェアリング(経営課題を解決できるプロフェッショナルの知見を企業に循環させる)」がお客様に全く理解いただけなかった時期ですね。
ーー具体的にどんな反応をされていたんですか?
福田さん:「副業とかフリーランスみたいな働き方をしている人たちは中途半端で嫌だ、信用できない」とか、「コミットメントしてくれなさそう」みたいなネガティブなことを沢山言われましたね。2016年に「働き方改革」が施行されて、副業を解禁していこうとか、フリーランスを増やしていかなきゃいけないよねっていう国の旗振りがあって、ようやく世間の反応が変わっていきました。
ーーそれでも、立ち上げから早いタイミングで“神風”が吹きましたね。
福田さん:当初は、マクロの視点で「こういうビジネスをやるべきだ」という強い思いがあって、国が改革するのを待っていたわけじゃないんです。そこから、3年あまりで働き方改革が起こったことは、我々としては本当にラッキーでした。弊社の理念に共感して、導入してくださっていたベンチャー企業の経営者の方々が初期からいたので、「パッション」はずっと維持できていましたね。
ーーなるほど。ここで「プロシェアリング」の業務についてもう少し詳しく教えていただけますか?
福田さん:まずは経営者とお会いして、課題や想いを徹底的にヒアリングするのがファーストステップです。そこから、どんなプロジェクト体制を構築して、どんなスケジュールでやっていくのかという要件を決め、弊社に登録している2万人以上の人材から適切な方をアサイン。お客様から同意をもらったら、プロジェクトがスタートしていきます。そこから、カスタマーサクセスチームとともに毎月進捗を把握し、プロジェクトの管理や軌道修正、レビューなどを行って、プロジェクトの成果が出るまで伴走する流れになっています。
社会の流行を作るほどのリーダーシップを
ーー先ほど「ハード・ワーク」の話はされていましたが、福田さんの社会人人生の中で一番の「ハード・シングス」はなんでしょうか。
福田さん:コロナの時期は本当に大変でしたね。今でも鮮明に覚えてるんですけど、3月に最初の緊急事態宣言が出て、「外出しないでください」と言われた時、もう頭が真っ白になってしまって。「約250人の社員の雇用を守れるのか」とか、「いつ終わるんだ」とか、いろんな不安がぐるぐると浮かんできましたね。
福田さん:インテリジェンスにいたときにも、リーマンショックや東日本大震災があったんですけど、「大変なことが起きたな」とは思いつつ、いち会社員ということもあり、どこか自分ごとに捉えられなくて。そこから3ヶ月は多分、創業時並みに働いたと思います。とにかく会社を前に向けなきゃいけないので、社員を不安にさせないように、経営陣でメッセージを統一して、何とかその期間を乗り切りました。コロナに関する様々な情報を集めていたときに、とある大学教授が、「パンデミックによって副業やフリーランスという働き方が拡大していく」という記事を書いていて、それも個人的には助けられました。
ーー非常に落ち着いた話し方、佇まいから察するに、“メンタルの強さ”が根底にあるのかなと思うのですが、「長年スポーツをやって身につけた」など、何か理由があるんですかね?
福田さん:学生時代は野球をやっていたんですけど、元々ある程度はメンタルコントロールはできるタイプでした。結構現実主義で、会社設立の際に起きたあらゆる大変なことも「こういうことって創業期だと当たり前だよね」みたいな感じに俯瞰して考えていて。それに、これまでの社会人経験がプラスされていることが、そう思わせる理由かなと思います。
ーー今後、会社として「こういうことを実現していこう」という青写真はありますか?
福田さん:フリーランス人材は今後間違いなく増えていきますし、あとはそのスピードがどの程度で広がっていくかだと思っています。すでにアメリカは、働き手の30%ほどがフリーランスという“フリーランス大国”になっている。この働き方が、日本でも当たり前になるよう、我々の事業がひとつの選択肢になればいいなと思っています。
ーー福田さん個人としてのキャリアパスはどう考えているのでしょうか。
福田さん:サーキュレーションを立ち上げてから強く思うようになったのは、「社会を変えられるほどのリーダーシップを持ちたい」ということです。会社の経営に携わることで、そうした力は少なからず身についてきましたが、世の中のムーブメントやトレンドを生み出すほどまで自身が成長していきたい。そうすることで、我々の事業にもっと注目してもらえますし、ひいては日本社会の働き方にもインパクトを与えられるのかなと思っています。
撮影/武石早代
取材・文/東田俊介
福田悠(ふくだ・ゆう)
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