「日本のエンジニアの価値を向上させたい」Branding Engineer代表取締役COO・高原克弥は父親の反対を押し切って“学生起業”を選んだ
いまや、大学在学中に自分で事業を起こす「学生起業家」は珍しい存在ではなくなりましたが、その後軌道に乗って結果を出し続ける企業はごく僅かです。
Branding Engineerの高原克弥さんは、大学3年時に、現CEOの河端保志さんとともに会社を創業。「日本のエンジニアの価値向上」を目指し、様々なサービスやメディアを展開し、大学卒業時には、会社の売上が5000万円を超えるほどにまで成長させるなど、順風満帆とも言える船出でした。しかし、その後10年の間にはさまざまな荒波も待ち受けていましたが、苦難を乗り越え、2020年には上場を果たしました。
さらに2023年の6月には、ホールディングス体制への移行と社名変更を行うことを発表した同社。よりパワーアップした会社を引っ張る“航海長”のキャリアと、仕事をする上で大切にしている指針を聞きました。
小学生でPCゲームを制作
ーーこれまでのインタビューでも語られていますが、幼い頃からパソコンに触れる環境があったようですね。
高原 克弥さん(以下、高原さん):小学生の頃から遊びの延長でゲームを作っていました。CGIゲームという名称で、アプリじゃなくウェブサービスで公開するものを。もともと父親がカメラマンで、Photoshopなどパソコンが必須の職業だから、家に機材がいろいろと転がっていたんですね。それで僕も興味を持ち始めて触るようになって。
ーー小学生……!相当早いですね。
高原さん:友だちに披露したら結構遊んでくれて、確か200人ぐらいまで登録者が増えたと思います。そこからゲームのコミュニティーみたいなものも出来て、すごく嬉しかったですね。中学生の頃には、ウェブサイト制作にも着手して、月200万PVほど見られるぐらいにまで育てたんです。結果、アフィリエイトでお金も入るようになり子供ながらに楽しさややりがいを感じました。そんな経験から、「インターネットを通じて人を集める」ことを大人になっても続けられたらとは思っていました。
ーー学生時代から相当な成功体験を積んでいますね。就職せずに起業、という道選びは至って自然な考えのように思えますね。
高原さん:でも、そこに合理的な理由はなかったんですよね。ただただ起業しようと思っていたというか。それで、大学に行った後に父親がカメラマンを廃業して、サラリーマンになったんです。息子には同じ苦労をさせたくなかったのか、以降ことあるごとに父親から「お前は絶対起業するなよ」と念押しされてきて。それでも、決意を固めて起業することを打ち明けたら、父親から「お前には悪霊が乗りうつっている」と、お祓いに連れて行かれました(笑)。それぐらい父親は僕の起業には反対していたんですよね。
エンジニアがコードだけ書いていたら世界から置いていかれる
ーーそんな強烈なエピソードが(笑)。それでも起業を選ぶぐらい、モチベーションが高かったっていうことですよね。
高原さん:大学時代、ある会社のインターンをした経験があって、当時その会社のエンジニアが、今思うとありえないぐらい本当に優秀なメンバーが集まっていたんですよね。スタートアップでCTO経験のある人ばかり。でも、そんな優秀なメンバーがいたにも関わらずプロダクトが全然完成しなかったんです。優秀な人が集まったけれど、想定していた目標に何もかも達していなくてローンチ出来ない感じが、日本の会社の縮図のように感じていました。エンジニアがコードを書く以外の力を身につけなければ、生産力が落ちて国内はもちろん世界から置いてけぼりにされるなと思って、自分で会社をやっていこうと決めました。
ーー決められた役割に当て込まれるキャリアパスじゃダメだと。
高原さん:エンジニアって、いかに若いうちに選択肢を作っておくかっていうのが大事だと思っていて。例えば30代のうちにPM、ディレクター、なんならCTOを経験しておけば、4、50代は自分の趣味嗜好で仕事が選べるでしょうし。僕らも運営しているプログラミングスクールで「フリーランスを目指しましょう」とよく言うんですけど、自分の時間で自由にやりましょうという意味じゃなく、錬鍛や経験を積んでいって選択肢を拡げましょう、という意味で話しています。
売上5,000万円が「ゼロ」に
ーーそれにしても、大学卒業の時には、すでに会社の売り上げ5,000万ほどあって、波に乗っている感じがあるなかで、そこから何故事業をピボットしたのですか?
高原さん:起業当時は受託開発をメインでやっていて、何なら僕もめちゃくちゃコードを書きまくっていたんですけど、このままだと、社名のようにエンジニアの価値を高めていけないよねっていう話になって。それで受託は一旦なしにして、5,000万の売り上げもゼロにする覚悟を持って、エンジニアのキャリア支援や、フリーランスエンジニアと企業をマッチングさせる事業に変えていきました。その際には、資金調達も2,000万程度行いました。
ーー起業後はマネジメントも並行して行っていたと思うんですが、経験はあったんでしょうか。
高原さん:そこが一番苦戦すると思っていて、案の定失敗に失敗を重ねて学んでいったっていう感じですね。「年齢を重ねている人は優秀なんじゃないか」と思い込んでいたこともありました。幸い、共同代表の河端という存在がいたので、お互いにお互いのダメ出しをしつつ、ブラッシュアップして、改善していくことができました。
起業を反対していた父親から最近言われた言葉
ーーそこから軌道に乗ってきたと感じたのは、いつぐらいからだったんですか。
高原さん:3期目の途中、事業転換をしてすぐのことでしたね。売上が3億円を達成しまして。ただ、さきほど話した転換は、“大きな鞍替え”っていうだけで、それまでにも細かい変更は何回か行っていたんです。受託開発から、自社でサービスをやろうとなったとき、1回やってダメ、2回やってもダメ……と、何度も挑戦した経緯があります。
ーー今や、もう10期目を迎えました。振り返ると、いつごろが1番ハードシングスだったと感じていますか?
高原さん:事業転換をする前の2期目の時でしたね。30人ほど社員がいたんですけど、CTO含め一気に抜けて、社員が1人だけになっちゃって。まだ自分も若かったので、企業との取引に関するあれこれとか、組織体制のこととかもわかっていなかったから、結構不安にさせてしまっていたのかなと……。人が会社にいる理由って、お金じゃなく、いかに自己実現できるかとか、チャレンジできるかが大きいと思うんです。そうした私自身の苦い経験からも、“バッターボックスに立てる環境”は絶対に用意すると決めています。
ーー高原さんがロールモデルにしている経営者ってどなたかいるんですか?
高原さん:孫さん(ソフトバンクグループ会長)はとても尊敬していますね。一代で会社を延ばしていくことには限界があると思うんですけど、あそこまで規模を大きくしている人ってこれまでいなかったんじゃないですかね。事業だけじゃなくて、金融レバレッジをかけていかないと伸ばせないことを証明した人で、自分たちの会社もそういう意思決定をしていきたいなとは思っています。
ーー2023年の6月1日より、ホールディングス体制への移行および「株式会社TWOSTONE&Sons」へ社名変更するというトピックスが入ってきました。どういった経緯で決まったのでしょうか。
高原さん:1番の理由は、事業が多角化してきているので、子会社という形でセグメント化して、それぞれオーナーシップを持ってやっていくっていうことですね。次世代の起業家輩出のスキームを生み出す、という目的もあります。そういった意味で、「Branding Engineer」という名称のままだと、限定的な印象を持たれてしまう。もちろん、エンジニアの価値向上をしていくことには変わりはないですが、より視座を高くするためにも、このタイミングで社名変更することを決めました。
ーーその話は起業することを反対していたお父さんにもしたんですか。
高原さん:一緒に出掛ける機会があったときに、「株価伸びてるじゃん」みたいな話をされましたね。何だかんだチェックしてくれてるんだなあと(笑)。
ーー1人の「プレイヤー」として、エンジニアをしていた期間が長い高原さんだからこそ、先ほどおっしゃっていた“価値向上”に寄与できると、確信めいたものがあります。
高原さん:ありがとうございます。エンジニア人材業をおこなう会社って、いま何千社とあるような歴史の長い業界なんですが、ほとんどのトップは営業出身など、エンジニアの仕事とは関係ない人たちなんですよね。その点、僕はエンジニアが何を求めているのか、何を考えているのかは経験をもって熟知しているつもりです。それもあって、エンジニアの「社会保障」に関しては、日本一向き合ってきたんじゃないかと思うぐらいです(笑)。今後もそうやって、エンジニア目線を持ちながら働きやすい環境をつくって、優秀なエンジニア人口も増やしていければいいですね。
高原 克弥(たかはら・かつや)
1991年生まれ。長野県出身。小学生よりプログラミングに触れwebサービスを複数運営。大学時代にスタートアップ3社でエンジニア・セールス・人事などを経験。大学在学中の2013年に現代表取締役CEOの河端保志氏とともに株式会社Branding Engineerを創業し、代表取締役COOに就任。ITエンジニアファーストを掲げ、各種事業の立ち上げ等により成長を牽引。2020年東証マザーズ上場を達成。
写真/酒井恭伸
取材・文/ヒガシダシュンスケ
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