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鈴木啓太・斎藤佑樹対談。アスリートから事業家への転身「“楽”をしたら“楽しい”はない。苦しさを糧にして強くなる」

鈴木啓太・斎藤佑樹対談。アスリートから事業家への転身「“楽”をしたら“楽しい”はない。苦しさを糧にして強くなる」

「THE MATCH」は、世間を賑わせるビジネスやお金にまつわる話題をテーマに毎回ゲストインタビュアーをお招きし、対談形式(対決形式)で語り合うコーナーです。

第2回に登場するのは、元サッカー日本代表として活躍し、現在はアスリートの腸内環境を研究するAuB株式会社の代表を務める鈴木啓太氏と、元プロ野球選手で、2021年12月に株式会社斎藤佑樹を設立した斎藤佑樹氏です。

この二人を招いて語り合うテーマは「セカンドキャリア」。二人はなぜスポーツの現場に留まらず、事業家の道を選んだのでしょうか。その理由に迫ります。

「斎藤佑樹」という名前にどれだけの価値があるのか知りたかった

——鈴木さんと斎藤さんは面識があるんですか?

鈴木さん:今日が2回目ですよね。

斎藤さん:そうですね。前回は、共通の知人からの紹介で。

——1回目はどんな用事で?

斎藤さん:一緒に食事をご一緒させていただいて。確か、鶏鍋を。

鈴木さん:そうそうそう。

斎藤さん:共通の知人から「引退後のことを考えて元スポーツ選手で優秀なビジネスマンに話を聞いたほうがいい」と言われてお会いしました。

でも、当時の僕は引退する気もなかったし、まだまだ現役で頑張ろうと意気込んでいた時期だったから、正直ちょっとお節介だなと思ったんですけど(笑)。今にしてみれば、すごく素敵な出会いだったので、紹介してくれた知人にはとても感謝しています。

鈴木さん:お繋ぎいただいた方は、佑樹くんのキャリアについていろいろ考えていたと思うんです。だからこそ、僕との場を取り持とうと考えたわけですし。もちろん現役選手からすれば、いやいや今は試合に集中したいんだけど、と思うのは当然のことだと思います。

——今回の対談は、まさに今、二人が話されていたことにつながる「スポーツ選手のセカンドキャリア」がテーマです。スポーツ経験が活きている場面があるのか、あるいは事業とスポーツは全然違うのか、などさまざまに話し合っていただければと考えています。

鈴木さん:なるほど。

斎藤さん:わかりました。

鈴木さん:僕から質問してもいいですか?

——もちろんです。

鈴木さん:これはいろいろなメディアで聞かれていることだと思いますが、社名を「株式会社斎藤佑樹」にした理由って何だったんですか?

斎藤さん:そもそも候補が10個くらいあったんですよ。そのうちのひとつが「株式会社斎藤佑樹」で。最終的にこの名前に決定したのは、「斎藤佑樹」という名前の価値が世の中にどれくらいあるのかを知りたくなったからなんです。

これまで僕は、さまざまな人のサポートのうえでプロ野球選手として活動してきました。引退してそういうものがなくなり、自力で歩いていくことになったとき、僕という人間がどれくらい通用するのか試してみたくなったんです。だから、日本ハムファイターズに所属しながらとか、マネジメント会社に所属しながらとかではなく、独立した形で自分という存在を置いてみることにしました。

鈴木さん:事業のドメインは?

斎藤さん:メインは僕のマネジメントですね。ただ、自分自身なにができるかわからない状況で起業したので、今日は啓太さんからヒントになるものが得られたらいいなと(笑)。

鈴木さん:なるほど(笑)。佑樹くんが「株式会社斎藤佑樹」という会社を設立したというニュースを見て、すごくかっこいいなと思ったんです。なぜかというと、結構な覚悟が必要だから。僕の大先輩に三浦知良さんという選手がいて。ご存じだとは思いますが(笑)。

斎藤さん:はい(笑)。

鈴木さん:カズさんは「職業は何?」と聞かれたときに「カズです」と答えるんですね。これって実はものすごいことで。

というのも、会社を経営していると「どんなことができるの?」と必ずと言っていいほど聞かれるわけです。場合によっては「なんだ、それ」と一蹴されることもあるし、いろんなところから批判を受けることもある。

だから、自分の名前を看板に掲げてビジネスをするのって尋常じゃない覚悟が必要なんですよ。もちろんネガティブな面も受け入れるくらいの決意があるからこそ、いろんな仕事が舞い込んでくるとは思うのですが。

斎藤さん:ありがとうございます。むしろ啓太さんこそ、引退後は元サッカー日本代表として各所から引っ張りだこだったと思うんですよ。それこそ指導者の道もあったわけじゃないですか。にもかかわらず、自分でビジネスを興そうと考えたのはなぜだったんですか?

鈴木さん:僕は現役時代、選手会の副会長を務めていたんですね。その頃からサッカー選手のセカンドキャリアがあまりよくないことが気になっていました。

引退の平均年齢って26歳くらいなんですが、その後に何をやっているのかわからない人がほとんどなんですよ。その状況が続くとしたら、子供が「サッカー選手になりたい!」と言っても、親から反対される職業になってしまうんじゃないかという危機感があって

加えて、僕が在籍していた頃の浦和レッズって、年間の収益が大体80億円くらいだったんですよ。けっこう稼いでいるなと思いつつ、ビジネスとしてよくよく考えてみると経済的な売上規模としては日本の中小企業くらいの規模感でしかない。「浦和レッズ」という名前の知名度の割に稼いでいないわけですよ。一方で海外に目を向けてみると、欧州のクラブは何百億規模で収益を得ている。この差はなんなんだろう、と。

そういった現状を変えていくためには、サッカー選手の社会的地位をあげていく必要があるし、社会的地位をあげていくためには環境を変えなければいけない。それに対してどんなアプローチができるのかを考えたときに、業界の中に居続けるよりも外からサッカー業界に貢献できるようなことがしたいと思ったんです。

斎藤さん:だから、指導者ではなく起業の道を選んだ、と。

鈴木さん:もちろん指導者として次世代の育成をすることは大事ですが、それよりもまずは環境を整えるべきだと考えました。ちなみに佑樹くんは、指導者として野球教室を開催することはありますか?

斎藤さん:今はやっていないですね。指導者の道も考えたんですけど、僕自身は11年間のプロ野球生活のうち、大半を怪我の回復に費やすことになり、自慢できるような成績を残せていないので。そんな人間が経験を武器に誰かを育てることはできないなと。

ただ、野球選手を引退して、しかも独立した立場になったことで、いろんなことが勉強できるようになったので、選手たちに還元できるものを得たそのときは、伝えるチャンスがあったら嬉しいですね。それが僕を支えてくれた野球界に対する恩返しになるのかなって。

鈴木さん:わかります。恩返しがしたいという想いは、僕も佑樹くんも一緒ですよ。

斎藤さん:こんなことを言ったらファンの方に怒られるかもしれないんですけど、怪我のリハビリ中も勉強になることが多かったんですよ。すごく有意義な時間だったというか。

だから「苦しかったですか?」と聞かれたら、「もちろん苦しかったんですけど、その苦しみすらも楽しかったです」という答えになるんですよね。プロ野球選手として過ごした11年間は本当に幸せでした。啓太さんはどうですか?

鈴木さん:僕も苦しかったんですよ、現役のときは。でも、振り返ると素敵な思い出ばかりだったなと思いますね。

あるとき中田英寿さんに「お前、現役のときに楽をしてきたか?」と質問されたことがあるんです。それで「していないです」と返したら、「でも、今振り返ってみてどうだ?」とまた聞かれて。「楽しかったです」と答えたら、「字は同じだけど、“楽”をしたら絶対に“楽しい”はないよ」と言われたんです。

確かに思い返してみると、トレーニングってとんでもなく苦しいわけですよ。でも、その苦しい時間があるからこそ、「あ、今めちゃくちゃ成長してる!」と感じることができる。これはビジネスでも同じだと思っていて。

だから、スポーツ選手として活躍できた人たちは、力の使い方を変えるだけでビジネスシーンでも活躍できるはずなんですよ。

斎藤さん:アスリートの“夢中になれる力”ってすごく大事ですよね。

鈴木さん:まさに。アスリートは努力をすることが当たり前になっているからこそ、つらい仕事も乗り越えられるんじゃないかって思うんですよね。

斎藤さん:啓太さんのおっしゃっていること、すごくわかります。少し話題から外れるかもしれないのですが、僕、子供たちに「勉強をする意味ってなんですか?」ってよく聞かれるんですよ。その答えって「頑張ることを身につける」なんじゃないかなと最近感じていて。嫌だけど、頑張る。それが結果として力になるのかなと。ある大学の研究では、学校の成績と競技の成績が比例しているというデータもあるらしくて。

鈴木さん:「頭が悪い人はプロになれないよ」と常々言っているのですが、アスリートってロジカルな人が多いんですよね。競技成績が学校の成績に比例するという話も、おそらく課題解決能力に長けているからなんですよね。悪いところを考えて修正を積み重ねていくことができる。だから、プロになれるっていう。しかも、これってビジネスでも同じだと思っていて。

斎藤さん:今回の対談テーマは「セカンドキャリア」ですが、アスリートに関しては「デュアルキャリア」が理想だと思うんですよね。とはいえ、その考え方はまだ野球界に浸透していないですし、オーナーやファンからしてみれば「野球に専念してくれよ」と思う気持ちもすごくわかります。

でも、これだけ世の中の価値観が多様化しているなかで、アスリートもきちんと勉強する必要があると思うんですよ。たとえば、本田圭佑さんはさまざまなビジネスに携わっていながら、サッカー選手として現在も活躍しているじゃないですか。

鈴木さん:これまでは勝負論争のなかでエンターテインメントとしての価値を高めることがスポーツ界で求められていましたが、その様相がこれから変わるんじゃないかと考えていて。

もちろん勝ち負けを競うのも大切なんですけど、それよりもコミュニティのなかでどれだけ愛される存在になれるかのほうが重要になるんじゃないかなと思うんです。極論を言ってしまえば、プロスポーツなんて人々の生活のうえでなくても困らない存在じゃないですか。

斎藤さん:そうですね。

鈴木さん:それでも必要とされるには、どれくらい地域に貢献しているのかとか、教育にどれくらい良い影響があるのかとか、そういう部分にもっとフォーカスしていかないといけない気がするんですよね。

だからこそ、我々みたいな元アスリートが引退後にどういうキャリアを形成していくのかもすごく重要で。次世代のアスリートのためにロールモデルになって、応援される存在にならないといけないんじゃないかなと思います。

尊敬してやまない人生のロールモデル

斎藤さん:それでいうと、啓太さんは誰がロールモデルなんですか?

鈴木さん:中田英寿さんですね。もう高校生の頃から憧れの人。選手としてとんでもなく活躍されましたが、それ以上に引退後の活躍がすごいじゃないですか。旅をしたり、日本酒のビジネスをはじめたり。

最近も食事をともにしたのですが、「ヒデさん、最近は何をやっているんですか?」と聞いたら「こういう理由で、こういうビジネスを考えていて、こういうふうに成長させていこうと思っている。なぜなら、今グローバルではこういうことが起きていて……」って話をされるわけですよ。その瞬間、「中田英寿、やべえ」と思って。「ただの旅人じゃない! 日本酒おじさんじゃない!」って(笑)。

斎藤さん:ははは(笑)。

鈴木さん:実はヒデさんが引退した直後は、どうしてもっとサッカー界に貢献しないんだろうと思っていたんですよ。あれだけの影響力があるのにって。でも、その考え自体が間違っていることに気づいたんですね。ヒデさんは常に違う視点からサッカー界のことを考えているんですよ。その姿勢を僕は見習いたいなと思っています。佑樹くんには、ロールモデルがいますか?

斎藤さん:僕は栗山監督のようなハートフルな存在になれるように頑張っています。栗山監督は、選手一人ひとりと向き合って、結果的にみんなを同じ方向に向かわせていくのがすごく得意な方という印象があって。「自分の家族を幸せにしなさい。そのために自分ができることを精一杯やりなさい」ってよく口にするんですよ。

普通の監督であれば、「チームの優勝を考えなさい」って言うんじゃないかなと思うんです。そうではなく、まずは自分とその周囲にいる人たちのことを考えなさいと。そうすることで、自分がなにをすべきかを自発的に考えて行動できるようになるからって。

鈴木さん:優秀な監督ってビジネスをやってもうまくいくと思うんですよね。オシムさんもそうですし、ミハイロ・ペトロヴィッチさんもそう。なぜなら、サッカーも野球もビジネスも求められるスキルが変わるだけで、芯となるものは一緒だから。僕自身、サッカー選手だった頃に監督から受けた言葉は、今でも記憶に残っていますし、ビジネスシーンでも役立っています。

だからこそ、自分はいつになったらその域に到達できるだろうと悔しくなります。起業してから7年が経ち、ようやく社長らしくなったと言われるようになっているのですが、まだまだ足りないものばかりなので。

それでも、やっていかないといけないじゃないですか。だから、創業期にくらべたら格段に強くなったと思います。あと1カ月で資金が底をつくかもしれない、みたいな危機を乗り越えたこともありますし。死ななきゃ大丈夫だなと思うようになりました。

引退を決意した瞬間、何を考えたのか

——サッカー選手や野球選手といったプロスポーツに携わる人は、プロになった瞬間に「引退」というものが付きまといますよね。この引退を決めるタイミングはどういう段階でするものなのでしょうか?

鈴木さん:僕は、そこまでサッカーの才能があると考えていなかったので、30歳まで続けることができたらラッキーくらいの気持ちでした。

だから、早い段階から次のキャリアについて考えていたし、プライベートの時間はなるべくサッカー選手以外の人と付き合うようにしていました。60歳まで働き続けることを考えれば、それが当たり前のことだと思っていたんですね。でも、引退を決めたのは、次のキャリアの目処がついたからではなくて。

転機は、他チームと移籍の交渉をしているとメディアに知られ、ニュースが出ることになったことでした。それなら自分から発表したいと思って移籍に関する情報をSNSに出したところ、サポーターから「どこのチームに行っても応援するよ」っていう声をたくさんいただいて。それで僕は浦和レッズで選手としての活動をやめるべきだと思ったんです。

斎藤さん:それはどうして?

鈴木さん:たとえサポーターに他チームのユニフォームを着てプレイするところが見たいと言われても、僕自身が許すことができなかったというか。僕は浦和レッズのサポーターに支えられてサッカーをやっていたんだと思った瞬間に、浦和レッズのユニフォームを着て引退したほうがいいなと思ってしまったんですよね。

斎藤さん:啓太さんの気持ち、すごくわかります。僕たちにとって、ファンはすごく大事な存在じゃないですか。僕はもうプロ野球選手ではないので、応援していただいた方々と交流する機会はほとんどないのですが、その気持ちは今でもあります。ただ、僕は僕で新たなステージに行かないといけないので、いつか何かの機会にまた一緒に過ごすことができたらと思います。

鈴木さん:佑樹くんはどうして引退しようと考えたんですか?

斎藤さん:決定的だったのは、後輩を応援したくなる自分がいることでした。負けたくないとか、悔しいとか、そういう闘争本能が沸き起こる感じがしなくなってしまったというか。精神状態がアスリートじゃなくなってしまったんですね。それでやめるべきだなと。

鈴木さん:わかる。僕も若い頃は「こいつを踏み潰してでも試合に出るんだ!」くらいの気持ちでいたのに、いつの間にか応援したくなっているんですよね。佑樹くんの話を聞いて思い出しました。

斎藤さん:恥ずかしい話、プロ野球選手になった直後は調子に乗りまくっていたので、2桁勝利を何年続けられるかとか、いつメジャーに行けるかとか、そんな野望を抱いていたんですよ。ところが、プライドが打ち砕かれるくらいプロ野球のレベルが高くて(笑)。

鈴木さん:ははは(笑)。

斎藤さん:それでも、心のどこかでは絶対にいけると思い続けていたんですよ。栗山監督も「とにかく体がボロボロになるまでやり切りなさい。佑樹がやれると思うまでやればいい。それを俺は応援するから」と言ってくれて。それで意識が切り変わっていったんですね。

2桁勝利するとか、メジャーにいきたいとか、そんな大口を叩いてばかりだったのが、最後まで諦めずに野球をやり切るとか、とにかく目の前の勝利をものにするとか、そういうことを考えて投げるようになりました。それからは本当に1球1球が楽しかったんですよね。

二人はなぜ事業家になったのか? 

——二人ともスポーツ選手として、一般人では考えられないほどのお金を得てきたと思います。極端なことを言ってしまえば、遊んで暮らすこともできるはず。それでも今、ご自身で事業を展開していらっしゃるのは、どのようなモチベーションがあるのでしょうか?

鈴木さん:実際のところ、自分のためにはもう頑張れないですね。贅沢な暮らしをしなければ普通に暮らせるわけですし。でも、僕はそんな人生は退屈だからしたくない。人生1度だけだから、たとえ失敗しても行動を起こしていきたくて。そして今は、世の中のために何か貢献できるようなことがしたい。それだけなんですよね。なんか偉そうなことを言ってますが、失敗したら佑樹くんに助けてもらおうと思います(笑)。

——斎藤さんはどうですか?

斎藤さん:結局のところ、人って自分が世の中に対してどれだけ貢献できているかを感じられることがすごく大事だと思っていて。メンタルを健康に保つためには特に。だから、お金じゃないんですよね。僕は野球界に何かしらの形で恩返しがしたいですし、つながりみたいなものを大切にしたいと思って仕事をしています。

鈴木さん:ちなみに、佑樹くんはファンとの付き合い方や向き合い方はどう考えていますか? 僕はサッカーをやめてから7年くらい経ちますが、今でも応援してくれる方がいて、ビジネスを応援してくれるんです。

斎藤さん:具体的に何か考えているわけではないんですが、自分の夢をたくさんの人に語って、一緒に協力してもらいたいなと考えています。だから、ファンに応援してもらうのではなく、こちらから引き込むくらいの気持ちでいて。

鈴木さん:こんな質問をしておいて提案なんですが、斎藤佑樹に応援されたい人ってすごく多い気がするんですよ。実際、僕も応援してもらいたいですし(笑)。

斎藤さん:そういえば、うちの会社のメンバーが誕生日だったんですよ。それで「僕、佑樹さんにおめでとうと言われたいです」ってお願いをされて(笑)。言ってなくて、ごめんってなったんですけど、確かに僕らは今まで応援されてばっかりだったじゃないですか。僕たちから「おめでとう」とか「頑張ってください」とかって言ったほうがいいんだなと啓太さんの話を聞いて思いました。

鈴木さん:自分で事業をやっておいてなんですけど、アスリートって事業家になるよりも投資家になったほうがいいんじゃないかと思うんですよね。自分の価値やリソースを最大限に振り分けて投資先を応援していく。そっちの相性のほうがよさそうだなと。

斎藤さん:自分ではできないけど、応援したい事業ってありますもんね。僕らの利益に直接はならなくても、回り回って僕らのところに恩恵があればいいですし。

キャリアは人生。それぞれに成し遂げたいこと

——そろそろ時間ということで、最後に今後の抱負を聞かせてください。

鈴木さん:僕はキャリアを人生だと捉えていて。サッカー選手だった頃が試合の前半戦だとしたら、現在は後半戦。会社は7期目が終わるんですけど、7年ってすごい長い年月じゃないですか。それだけ時間とお金をかけているわけで、常にリスクを背負いながら生きていると思うんですよ。

でも、そこから逃げない自分でいたいし、常に今の自分を肯定できるようにしたい。おそらくこれからの動きによって残りの人生が決まると思うので、後半戦も頑張ってひとつの試合を悔いのないものにしたいと思います。あとはいつの日かサッカー界に戻りたいなと。AuBでチームを持つことができたらいいなとぼんやり考えています。

佑樹くんはどうですか? 野球だったら、5回の表までが選手としての現役生活で、裏からは引退後の人生みたいな感じだと思うのですが。

斎藤さん:僕は将来、野球場をつくりたいんですよね。一生懸命頑張って働いたら、何十年後かに実現できるかもしれないんですけど。日本ハムファイターズが新球場を北海道の北広島につくっているのですが、野球場だけでなく周囲の環境も整えていて、街づくりみたいなことをしているんですね。そういうふうに、僕も子供たちのための場をつくりたくて

鈴木さん:いいね。場所は?

斎藤さん:どこにしましょう。長い時間を過ごした北海道もいいですし、地元の群馬もいいなと思っています。

鈴木さん:確か大リーグにいる筒香(嘉智)さんが2億円くらいかけて和歌山に球場をつくりましたよね。佑樹くんもそれに続きましょう!

斎藤さん:啓太さん、ぜひ支援してください(笑)。

鈴木啓太(すずき・けいた)

AuB株式会社代表取締役CEO
サッカーどころ静岡県に生まれ育ち、小学校時代は全国準優勝。中学校時代は全国制覇を成し遂げ、高校は東海大翔洋高校へ進学。その後2000年に浦和レッズに加入。2015シーズンで引退するまで浦和レッズにとって欠かせない選手となる。2006年、オシム監督が日本代表監督に就任すると、日本代表にも選出され、初戦でスタメン出場。以後、オシムジャパンでは、唯一全試合先発出場を果たす。現在はサッカーの普及に関わるとともに、AuB株式会社を立ち上げ、アスリートの良好なコンディショニングの維持、パフォーマンスの向上を目標に日々研究をするなど、スポーツビジネス、健康の分野でも幅広く活動。

斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)

株式会社斎藤佑樹代表取締役
1988年群馬県生まれ。早稲田実業学校3年時に『第88回全国高校野球選手権大会』に投手として出場し、同高校の初優勝に貢献する。マウンドで投球の合間に青いハンカチを使っていたことから“ハンカチ王子”と呼ばれ話題に。2007年に早稲田大学に入学し、野球部の主力メンバーとして活躍。2009年には同部の100代目主将にも就任した。2010年にはドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。2021年10月に引退し、同年12月に株式会社斎藤佑樹を設立。現在は多方面で活躍している。

撮影/武石早代
取材・文/村上広大
撮影協力/ON CO.LTD.

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鈴木啓太・斎藤佑樹対談。アスリートから事業家への転身「“楽”をしたら“楽しい”はない。苦しさを糧にして強くなる」

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